蒼天の星

8、昇天




 軌道エレベーターは、見渡す限り何もない大地のど真ん中に建てられていた。トルクは山の上に建てられていたものをイメージしていたが、それは間違ったイメージだった。
 三万六千キロメートルという距離は人間の感覚とは大きくかけ離れたものだった。高い山でさえ六,七キロメートルしかないことを考えれば、山だろうと平地だろうと建てる苦労はあまり変わらないからかな、とトルクは考えた。
――静止衛星軌道上からぶら下げるように建設するんだしね。
 草木一本も生えていない、砂塵が舞う大地にトルクは立っている。砂塵は視界を損なうほどのものではなく、目にはいると若干痛い程度のものだった。
 トルク達は、話し合った次の日の早朝に出発していた。
 街から軌道エレベーターまでの百キロの道のりは、カイ・カラツが運転する年代物のジープで走破した。
 ジープはあちこちの塗装が剥げ、錆の浸食で後部座席のしたに小さな穴が空いている代物だった。穴から漏れる空気のさえずり音が甲高く耳障りで、防音が殆どされていないエンジン音がうるさい以外は、ジープはいたって正常な働きを保っていた。
 トルクは車に乗るのが初めてだった。
 ジープの中は狭すぎ、運転席の方まで杖ははみ出してしまっていた。杖を掴みながら、トルクは終始後部座席に座っていた。
 ジープは道のない道を飛び跳ねるように進んだ。静かで揺れのない乗り物に乗り慣れているトルクにとって、ジープの中は理解を超えた生き物の腹の中のようだった。
 カイは手元のギヤを激しく操り、生き物をなだめながら目的地へと向かわせているようにトルクには見えた。
 慣れていない上下動はトルクにはきつかった。走ってしばらくすると、すぐにトルクは吐き気を感じ、車を止めて休憩しなければならなかった。走り出すたびに気持ち悪くなるので、車はなかなか目的地へはたどり着かなかった。出発から三時間後になって、ようやく安全に辿り着ける、約百メートルの地点までやってきていた。
 ジープの近くでは、缶詰やテント等をケシルがリュックに詰めている。彼は青くて色落ちをしたリュックに全てを詰めると、背負った。
 目の前に軌道エレベーターがある。エレベーターというよりも、それはどこまでも続く塔のように見えた。三万六千キロメートルという距離が天と言えるのなら、この構造物は実際に天まで届いているんだ、とトルクは思った。
「なんて大きいのだろう」トルクは呟いた。
 各辺が百メートル近いピラミット型構造物が建てられている。すべての光を吸収してしまっているような、照り返しのない黒色の表面がある。
 その頂点から上へと、真っ直ぐに塔が伸びている。
 トルクは徐々に上を見上げていった。塔はだんだんと細くなっていく。やがて一本の線となる。それでもそれは太陽の光が煌めいている為に存在を確認できた。塔はどこまでもどこまでも続いていた。首を痛みを感じてトルクはピラミッドの方へと視線を戻す。
(オルマティロッド、視覚強化ルーチンを作動できる? 倍率は二十倍)
(残念ながら、視覚強化ルーチンは『シティ』の能力に依存している為に使用できません) トルクは肩を落とした。ゆっくりとケシルの方を向いた。ケシルはジープに寄りかかって双眼鏡を見ていた。
「ケシル、その双眼鏡貸して」
 ケシルは仕方がないなといった表情で、双眼鏡をトルクに手渡した。
 トルクは受け取り、双眼鏡の目と目の間を狭めてから覗く。
 ピラミッドの周囲には、うっすらと緑色をしたシールドが取り巻いている。そのさらに外側には、無数の棒状の突起が大地から突き出ていた。棒は黒く、目立っている。
 トルクは誰かに背中をつつかれた。双眼鏡から目を外して振り向く。カイが手を差し出して立っている。トルクはカイに双眼鏡を手渡した。
「あの細長い無数の棒が、自動攻撃システムの要だ。あの棒の先端から、無数の指向性のレーザーが放たれる」
 カイは片手で双眼鏡を覗きながら言った。空いている手にはグローブが抱えられている。
「五本程度の集中ならば僕のグローブのシールド能力でも弾くことができる。過去には七十メートル地点にまで近づいたことがある。けれど、それ以上は進めなかった。攻撃が激しさを増すからだ」
 カイはケシルに双眼鏡を手渡す。
「俺は荷物運びをするよ。それしかできることは無さそうだし」
 ケシルは双眼鏡を覗きながら言った。トルクは背伸びをしてケシルから双眼鏡を奪った。何をするんだ、といった顔でケシルはトルクを見る。
「そんなことないよ。ケシルは荷物運び以外にも役に立つよ」
「何の役に立つというんだ? 俺の護身術でどうこうできるレベルでもないだろう」
 トルクはケシルから目をそらす。
「……私は君を頼りにしてるよ」
「だから、俺は何の役に立つんだ?」
 ケシルはトルクの視線の先へと素早く身体を動かして言った。ケシルはトルクに顔を近づけた。トルクはさらに目をそらす。
「……私の」
 ぼそりとトルクは呟いた。
「わけわかんないぞ」
 ケシルはトルクの手から双眼鏡を奪い、目に押しつけた。
 トルクは、列車に乗った時のことを思い出していた。
――あのとき、ケシルが隣にいるというだけで自分は冷静になれた気がする。
 あのときのケシルの手の暖かみをトルクはまだ覚えている。トルクが目一杯握りしめても、ケシルは嫌な顔をしなかった。
――いるだけで役に立っているんだから。
 それはオルマティロッドに触れているときのような、自分にはどうしようもできない出来事から身を守ってくれるかのような、安心できるような気持ちだった。
 トルクはもう一度塔を見上げる。
 それは列車から見えたどこまでも続く線路と同じように、一点で収束していた。
――あの先に、『シティ』がある。
(オルマティロッド、音声出力オン、入力は音声と脳波を同時併用。優先度は脳波)
『了解しました』
 オルマティロッドが振動しながら音を出した。それは男声でも女声でもない。ケシルとカイは急に音を出した杖に驚いて見つめていた。
「今回はオルマティロッドの音声出力をオンにしておくから。そのほうが状況を把握できていいでしょ?」
 三人はジープをその場に残して、ゆっくりと軌道エレベーターへと近づいた。

 トルクは、二人よりも三歩ほど先を歩いていた。
 前方に展開しているシールドの一点が他の箇所よりも濃い緑になっている。それはレーザーが一点に集中している証拠だった。
 自動攻撃システムは前方にしかない。そのため、前方に板のようにシールドを展開しているだけで、後ろの二人をも守ることができる。
 軌道エレベーターまでの百メートルは、歩いて一分もかからないだろうとトルクは思った。
 現在は軌道エレベーターまで約五十メートルの地点だった。距離はオルマティロッドが正確に計っている。レーザーは目には見えなかったが、杖が十本のレーザーが集中していると告げていた。
 レーザーというのはただの光だ。
 ただの光ではあるが、本来ばらばらな光の波の形を綺麗に揃えているために、遠くまで到達して物を破壊することができる。
 虫眼鏡で紙を焦がすのと似たような理屈で、一点に集まれば集まるほど破壊力が強まる。
 しかも、厄介なことに、目というのは光を認識する器官なので、レーザーが来たと気付いた頃にはすでに命中してしまっている。すなわち、目で見て避けることが不可能だった。
『残り四十メートルです』杖が言う。
「大丈夫?」
 トルクは杖を掲げたまま、後ろを振り向いて言った。二人は辺りを見回しながら用心深く歩いていた。
「ああ」と、ケシルが言う。ナイフを持った手は小刻みに震えているようだった。
「大丈夫だ」と、カイは腕を頭に組ながら言う。
『残り三十メートルです』
 攻撃が激しくなる。
 巨大なピラミッドがさらに大きくなって、トルクの視界いっぱいに広がっていた。まわりを取り囲む棒状の突起群を、肉眼でも一本一本を認識できるようになってきた。
――この自動攻撃装置は、一体、何のためにあるのだろう。
 トルクは歩きながら思う。
――だれも来ないような真っ平らな大地にあるのだから、ここまで警備を厳重にする必要がないし。入り口に施されたシールドだけで充分なような気がする。
『残り二十メートルです』
トルクは前からの圧力を感じていた。それはレーザーの光の圧力だった。攻撃はたいしたものではなく、オルマティロッドのシールド機構に損傷を与えるレベルのものではなかったが、トルクを押しのけようとする力は凄まじかった。
 気を抜くと後ろへ跳ね飛ばされそうになる。トルクは歯を食いしばり、一歩一歩を確実に歩いた。着ている青いコートを脱ぎ去りたいほどに暑かった。
「手を貸す。横にしろよ」
 ケシルがトルクの横へ立った。彼は彼女が縦に持っていたオルマティロッドの上部をつかみ、傾けて水平にした。
 二人が横に並ぶ。負担が半分になり、前へ進むのが楽になった。トルクは一瞬だけ片手を離し、額の汗を拭う。
「ありがとう」
「気にするな。俺が役に立てるのはこれくらいしかないからな」
 トルクが後ろを向くと、カイは一人で歩いていた。

『残り十メートルです』
 真っ黒いピラミッドが、薄い緑色の半透明のカーテンに覆われている。一カ所だけ、ピラミッドの表面が他と違って光を反射していた。多分、入り口だろうとトルクは考えた。
 入り口の手前に棒状突起群があり、棒状突起群まではあと数歩だった。
 レーザー光の圧力がさら強くなってきている。
 強力なバネを押し返しているような感触だった。押せば押すほど、どうにもならないくらいに押し返す力が強くなってくる。
『あと三歩です』
――これじゃ、『シティ』の人間だって入れないじゃない。
 力一杯押しても、杖は迫りくる壁のようにびくとも動かない。押し返されるのを押しとどめているようだった。
「せーのっ」
 片足に目一杯力を込めて、トルクは巨大な鋼鉄の扉を開けるかのように一歩踏み出した。
『あと二歩です』
 棒状突起群は遠くから見ると隙間なく立っているように見えたが、近くに来て見てみると、オルマティロッドを横にしていても十分に通れる間隔で立っていた。
 トルクは後ろを見た。カイは未だに頭に腕組みをして悠然と歩いている。
「黙ってないで手伝ってくれない?」
 トルクは少し怒気を含めて言った。
「僕は肉体仕事担当じゃないんだ。遠慮させてもらってる」
「だれも許可していないわ。手伝ってくれないと前へ進めないの」
 トルクが後ろを向いたまま言うと、強烈な力がシールドにかかった。足がふらつき、転びそうになる。
「トルク、力を抜くな」
 ケシルが叫んだ。彼は杖を背にして後ろ向きに押している。
「ごめんなさい」
 トルクも杖を背にした。カイと正対する格好になる。
「ほら、早く来て。二人よりも三人の方がいいでしょ。何のためにそんなに図体がでかいの? こういうときに役立てるためじゃない」
 カイは腕組みを時、前に歩き出した。
「僕は力の強い方じゃない。テクニカルファイターなのに……」
 ぼそぼそと呟きながら、カイもトルクたちの横に並ぶ。彼は杖の後端をつかんだ。トルクの負担が軽くなった。
「これはきついな」
「でしょう?」
 トルクは微笑みながら言った。
『あと一歩です』
――あと一歩で棒状突起の真横に並ぶ。
 板のようだったトルクたちのシールドは、棒状突起との角度が無くなるにつれて、遠くの突起からの攻撃を防ぐために後ろ側にも回り込んでいた。
 三人とも前を向き、同時に片足を上げた。
「せーのっ」
 同時に一歩前へ足を出した。
 壁を押すような感触が一瞬で消える。トルク達は前のめりになって転がった。
 攻撃が止んでいた。
――棒状突起は、あくまで外部の侵入者を防ぐために作られた物。内部に入ってしまえば攻撃を受けなわけね。
 トルクは膝の砂を払いながら起きあがる。すでに棒状突起を通り抜けていて、ピラミッドを包むシールドまで五メートルだった。ケシルとカイもゆらりと立ち上がる。
 地面に転がっている杖を拾い上げ、シールドのところまで歩いた。
「とりあえず、第一関門突破っていう感じだな」
 ケシルが言う。
 トルクは杖を半回転させて縦に持ち、シールドの展開を解除する。シールドは杖の先端に収束していき、消えた。
 膝に手をのせ、トルクは深呼吸した。あごから滴る汗を拭う。杖を持ったまま背伸びをした。そこでトルクは何故三人がかりでもきつかったのか気づいた。
――私のオルマティロッドが安いからか。
 トルクのオルマティロッドは、『シティ』の基準では最低レベルの能力しか持ち合わせていない。他の性能のいい物ならば、シールドするときに攻撃の圧力もうち消すだろう。
「私の家って、貧乏だからなあ」
 トルクはふっと、ため息混じりに言う。
「なんか言ったか?」
 額の汗を拭っているケシルが言う。トルクは大きく首を振った。
「いや、ただの独り言」
「独り言言っていると、はげるぞ」
ケシルが真顔で言う。
「わけわかんないよ」
「いや、気にするな。俺もわからん」
 ケシルはにこやかに笑った。トルクもつられて笑ってしまう。
「なあ、ちょっと見てくれよ」
 カイが言う。トルクとケシルはカイの方を見た。カイは黒色のピラミッドに施されている薄緑のシールドに顔を近づけている。シールドはうっすらと揺れている。
 カイは一歩下がり、大きく息を吸って両手を構える。その手にはグローブがはめられている。カイは、ピラミッドのシールドに続けざまに二発打ち込んだ。
 鈍い音が鳴り響くが、ピラミッドの薄緑のシールドには何も変化がない。
「やはり、僕のグローブでは歯が立たない。テスラー変動の強制位相反転ができない。強制力が足りなさすぎる」
 カイがグローブをはずしながら言う。
 トルクは上を見上げた。ピラミッドの頂点から生えている塔を探そうとしたが、あまりにも近くに来ているために、首が痛いだけだった。
 太陽は黒いピラミッドに隠され、涼しげな風がピラミッドを駈け上がるように吹いている。
「あっ」
 トルクは小さく叫んだ。口を開いたままシールドを見つめる。
「何だ? どうしたんだ?」
 ケシルが聞く。トルクの事を心配そうに見ている。
「あーっ」と再びトルクは叫び、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
――地上にいればどんな杖だって万能に近い働きができるから忘れていた……。
 ケシルはトルクに駆け寄った。肩に手を回し「大丈夫かっ」と叫ぶ。
「はあ、どうしようか」とトルクは地面に向かって呟いた。
「『どうしようか』って、方法はあんたの杖でこのシールドを破る以外にないじゃないか」
 カイは当然だろといった口調で言った。
 トルクは深くため息をつきながら、ふらりと立ち上がる。急に手に持った杖が頼りなく感じて始めていた。
「そ、そうだね」
 トルクは杖を上に掲げながら、シールドに向かって歩いた。
 一度後ろを振り返る。ケシルとカイはトルクの動きを注視している。
(オルマティロッド、音声出力オフ)
(了解しました)
 トルクはシールドの目の前に立ち、杖の先をシールドに近づけた。口の中のつばを飲み込む。
(オルマティロッド、シールド中和機構作動)
(これにはその機能は付加されていません)
――やっぱり。私の家って貧乏だから、シールド中和機能付けなかったんだよね、確か。
 トルクは小さく首を振る。前髪がふらふらと揺れた。背中に二人の視線を感じる。
――いや、中和機能がなくたって、シールドの中和はこの杖の機能をうまく使えば、手動で行えるはず……。
 トルクはピラミッドのシールドに向けて杖を傾けた。そして目をつぶる。
(このシールドのテスラー変動位相の計測はできる? 視覚化して欲しいんだけど)
(できます。行いますか?)
(やって)
(でも、いいんですか?)
 トルクは首を傾ける。オルマティロッドが使用者の意志を再確認することは珍しかった。
(はあ? どういう意味?)
(さきほどまであったシールドは、すでにありませんが。無い物計測してもあまり意味がないと思いまして)
「え?」
トルクは目を開ける。そこには翡翠色のシールドはなかった。
 トルクは杖を落としそうになる。いつの間にか、黒色ピラミッドの入り口が拡大され、大きな口が目の前に開けていた。
 肩が重くなる。
「やはりすごいな、その杖」
 後ろからケシルがトルクの肩に手を回していた。ケシルの声は弾んでいる。
「俺のグローブではびくともしなかったのに、その杖は触れることすらせずにシールドを破壊したなんて。やはり『シティ』の高度テクノロジーは凄いようだな」
カイもトルクに肩に手を回してくる。
「え?」
 トルクは、ケシルとカイと急に開けた入り口を交互に見やった。
「何きょろきょろしてるんだ? これで『シティ』に帰れるんだろ? 行くぞ」
「え、え?」
――何で? 私何もしていないのに?
トルクが混乱している中、ケシルとカイはトルクを引きずるようにして、ピラミッドの中に入った。


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創作時期 July 2001 改稿時期 April 2003

これは工房長co_metのオリジナルです。この作品の無断転載を禁じます。