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蒼天の星

7、街




 ケシルが右手でレバーを押し下げ始めると、列車の下部で金属のこすれる音がした。その音と共に、列車は次第に速度を落としていった。
 トルクはケシルの傍らに立っている。
 運転席の前方の窓から駅の様子を見る。屋根のないホームが近づいてきている。灰色のコンクリートでできたホームは、あちこちが欠けていてぼろぼろだった。
 ホームの上には人はいない。
「誰も興味ないのかな」
 トルクはレバーを掴んでいるケシルに言う。ゆっくりと押し下げ、速度の調節を行っているようだった。
「列車に構っていたら、自分たちの時間が無くなってしまうからじゃないのか」
 ケシルは前を向きながら言う。
 ブレーキ音が徐々に高まっていく。ケシルは大きくレバーを押し下げた。がくんという揺れが起きたあと、列車は無事にホームに止まった。ホームを通り過ぎずに、きちんと降りられる位置に止まっている。
 ホームには誰も人はいなかった。木製のしきりのようなものが改札口代わりに取り付けられている。駅の周りは緑一面で、草原が広がっていた。地平線付近には灰色のかたまりが見える。目をこらすと、それはビル群だということがわかった。
 立てかけておいた杖を掴み、トルクは運転席のドアを開けて一気にホームに着地した。
 外に出た瞬間に、甘いような辛いような、酢のような魚のような、卵が腐ったような水っぽいような悪臭がトルクの鼻に襲いかかってきた。それはトルクの語彙の範囲を超えていた。
「あー」
 頭を突き抜けるような悪臭の直撃を受け、トルクの意識が遠くなっていく。まわりの世界がくるくると回り始め、上下の感覚が消えていった。
「大丈夫か?」
 ケシルが運転席から飛び出し、トルクに手をさしのべた。背中に手のひらをあてて回転を止め、胸の中に転がり込んできたトルクを抱えて列車の中へ引き返した。
 列車のドアが閉められる音がした。
 頬を叩かれて、トルクはうめきながら目を覚ました。間近にケシルの顔がある。トルクは慌てて身体を起こした。
 ケシルは乗客室の中央に立って、トルクのことを見下ろしていた。トルクは乗客室の椅子にいる。
 ケシルの顔が笑っている。
「匂いは反則だと思わない? 見た目じゃ分からないもの」
「別に。油断している君が悪い。初めて来た土地では細心の注意を払うのは当たり前のことだろ」
ケシルはかぶりを振りながら言った。
「ケシルって、よく性格悪いって言われない?」
 ケシルは乗客室のドアの付近へと移動する。そして振り返った。
「それより、匂いなんて我慢してさっさと行くぞ」
 ケシルはドアを閉めた。すぐに乗客室の窓からホームにケシルが現れる。平然と立っている。鼻をつまむこともせず、匂いのことは全く気にしていないようだ。ケシルはトルクに、早く来いと手で合図している。
 トルクは頭を押さえながらふらふらと立ち上がり、小さく息を吐いてからドアへと向かう。
 ドアの前で立ち止まる。
(オルマティロッド、シールド機構作動。匂いのみ除去するように設定して)
(了解しました)
 杖が振動する。トルクは緑色のシールドを張り巡らせ、万全の体勢で列車の扉を開けた。

 しばらく歩くと悪臭も遠くなり、街の中へと入った。
 トルクは二十時間もの長い間列車に乗ったことがなかった。それどころか、どんな交通機関でも、二十時間も利用したことがなかった。『シティ』では二十時間もあれば端から端まで徒歩で横断できた。
 夜をまたいだこともあり、トルクは自分が今、最初に落ちてきた地点からどのくらい離れているのかよく分からなかった。
 北へ進んだのか南へ進んだのか、それすらも分からない。相変わらずオルマティロッドは『シティ』からの信号を受信することができなかった。
 真上から照りつける太陽は眩しく、コンクリートの地面に二人の小さな影を作り出している。
 オルマティロッド内蔵の時計では、今の『シティ』は午後六時だった。『シティ』の時間サイクルは、『シティ』の自転による日の出日の入りに合わされていない。すなわち、内蔵時計の時間を知ったところで、時差から位置を特定することはできなかった。
 トルクは手をかざしながら太陽の方を見た。太陽を手を隠す。手がじんわりと温まる。
 高度三万六千キロメートルで、『シティ』は地球に対して静止している。
 この高さだと、『シティ』が地球を一周するのに二十四時間かかるため、地上から見た場合に静止して見えるのだった。
 そのため、何らかの手段でその高さまで上げることができれば、『シティ』の場所は固定されているので直ぐに見つかるはずだった。
 問題なのは、上空へと上がる手段だった。
 背の高い灰色のビルが建ち並んでいる。ビルは窓が割れているものが殆どだった。割れた窓からは衣類がはみ出ている。どの服も小さく、子供用だった。
 人がたくさんいすぎるせいで、前方の道路は殆ど見えなかった。
 所々にある十字路には、たくさんの人が右へ左へと歩いている。脇道をせずに、ただ真っ直ぐに前を向いて歩いていた。
「いや、こんなに人がたくさんいるところに来たのは初めてだ」
 前を歩くケシルが振り返りながら言う。後ろを向いた瞬間に、ケシルは誰かにぶつかりよろけた。ケシルがぶつかったのは十歳くらいの茶髪の女の子だったが、その子は何も言わずに人混みの中へと消えていった。
 トルクはケシルと手を繋いでいる。繋がっていないとすぐに人の流れに分断されてしまうからだ。
 『シティ』の内層部分に似ているとトルクは思った。0.五五Gのかかる内層部の経済的中心地では、いつも人が流れている。そこを利用する人間はあまりの人の多さに他者に無関心になる。ぶつかっても謝らず、ぶつかられても怒らない場所だ。
 思い思いのファッションで街を行き交う人々は、みな若い。
 ここでもやはり『十八年の一生』からは逃れられていないんだとトルクは思った。
――けれど、殆どの人が生き生きとしている。『シティ』の内層部分とは大違いだ。
 『シティ』の内層部住民は、殆どが非老化処置を受けて百才を軽く越えている。その顔には年月による心労が刻まれ、ここのようにはつらつとしていない。
「あの、聞きたいことがあるんですけど」
 トルクは人の流れに向かっていった。一人が立ち止まったが、トルクの方に振り向かずにそのまま足早に去っていった。
 トルクは歩いている少年の肩を掴んだ。掴まれた少年は目を丸くしてトルクを見た。肩を掴まれたのが信じられない、というような顔だった。
「あの――」
 トルクが話し始める前に、その少年は肩に乗せられたトルクの手を払って、人混みの中に消えていった。
 たくさんの人に声をかけたが、誰も立ち止まる以上の行為をしてくれなかった。中には、声をかけても無視したり、前に回り込んで引き留めても、トルクのことを障害物か何かのように手で払いのけたりする人もいた。
「何なの、あの人達」トルクは肩を落としながら呟く。
 ケシルも同じように声をかけているようだったが、結果はトルクと同じようだった。
「十八年しか生きられないからだよな」ケシルは呟く。「それにしてもそんなに無関心にならなくてもいいと思うが」
 二人は、ビル街に流れる人という川の中の、中央の川面に突き出た小さな岩のような状態になっていた。人々は立ち止まっている二人を避けて往来していた。
 トルクは杖に体重をかけながらしゃがみ込む。
「どうすればいいんだろ。誰も話を聞いてくれない。これじゃ、いくら人が多くても、上へ行く方法なんて見つからないよ」
「こいつら、ここを目的地への通路の一つとして考えているから、ここを通る時間をなるべく少なくしたいと考えているんだろう。どこに行くのかは知らないが」
 ケシルはトルクの杖の上部を掴みながら言った。
「困っている人間を助けることもできないほど、時間がないってわけではないだろうに。これだから都会は嫌いだ」
 しゃがんでいると、無数の足が動くのが見えた。一人一人の足を見分けることはできず、ただ足の群れが無秩序に動いているようだった。
 トルクは、市長に会いに行った時を思い出していた。
 市庁舎まで行く途中、このような人の流れに出くわしていた。
 その時は、オルマティロッドというものがあるから、通行人はほかの人間に関心がないのだろうと思っていた。
 オルマティロッドがある社会では、道を聞かれたり、困っている人に相談されたりすることはない。
 相談する人間の知識よりもはるかに多い量のデータが、オルマティロッドの操作一つで取り出すことができるからだ。位置情報は常に更新されている為、道に迷うということもない。
 だから、杖なしでも、人は人にここまで無関心になれるものなのか、とトルクは驚いていた。
――この街は、『十八年の一生』が無くてもこのままの街なのかしら。
 匂いを遮断するシールドは、街にはいると共に解除していた。さすがに街にはそんな匂いはない。あったらこんなにも人がいるわけがないとトルクは思う。
 トルクは立ち上がった。
(オルマティロッド、この人の流れを遮断するように、道いっぱいに軽程度のシールドを展開して)
(了解しました)
 杖を片手で高く掲げる。杖の先の矢印の形をしたシンボルから、ふんわりとカーテン状シールドが展開された。シールドは細長い楕円形に広がり、道の両脇にぶつかると展開を停止した。
 ケシルが目を丸くしてトルクを見ている。トルクは微笑みながら親指を上へ突き立てた。それが「大丈夫」という意味のジェスチャーだということをトルクは学んでいた。
 街全体がざわめきに包まれ出す。
 人々はカーテン状に波打つ翡翠色の壁に阻まれ、先へ進むことができない。
 人の皮は二人の所でせき止められ、川は川ではなくなり、人に戻った。
「ちょっと、聞きたいことがあるの」
 トルクは杖の拡声機能で声を大きくして言った。声はビルの壁で反響した。あたりの人間は静まりかえる。
「この中の誰かに、上空へ行く手段を知っている人はいない?」
 ビルが言葉の語尾を何度も反射した。反響は次第に小さくなっていく。
 反射音の残響が消えても、誰も喋ろうとしなかった。どの人間も、眉をつり上がらせてトルクの事を睨んでいる。
「飛行機ではダメなんだ。飛行機では行けない高いところ、高度三万六千キロまで行ける方法を誰か知らないか? 彼女の故郷がそこにあるんだ。彼女を帰らせる方法を知っているものはいないか」
 ケシルは杖を使わなかった。声は拡声器無しで大きくよく通った。『高度三万六千キロ』というケシルの言葉を聞いた途端、周りがざわめきだした。
 あちこちから、「馬鹿なこと言うな」、「行ける訳ないだろ」、「早くこの壁を何とかしてよ、遊びに行けないじゃない」、「おまえらのことなんて知ったこっちゃない」などのヤジのような声が、群衆という音の固まりから飛び出してくる。
「お願い、誰か知らない? 知っている人の事を教えてくれるだけでもいいの」
 トルクが話しても、トルクの声は群衆のざわめきにかき消されてしまう。拡声機能を使っても無駄だった。怒号に近いざわめきの前には、どんな声も伝わらない。
トルクの方へ人が押しかけてくる。
 群衆が張り巡らせたシールドに向かって殴りかかってきた。
「聞けっ。俺は十七才だぞ」ケシルが大きな声で一喝する。
 ざわめきが止んだ。
 シールドに向かって殴りかかっていた人たちも、一瞬、動作を止めた。
 トルクもケシルの大声に驚いて、ケシルの方を見た。ケシルは片手をトルクとつなぎ、もう片方の手はトルクが掲げているオルマティロッドを掴んでいた。ケシルの眉はつり上がっている。
「おまえらが好き勝手に生きるのは構わないが、たまには人助けでもしたらどうだ。おまえらは、何で今、道が通れなくなっているか分かるか?」
 誰も答えない。誰もがケシルの言葉を待っていた。
「それは彼女が魔法を使っているからだ」
「ちょっと、私は魔法なんて――」喋ろうとするトルクを、繋いでいる方の手で遮ってケシルは続けた。
「こんなものは魔法の初歩でしかない。彼女の故郷ではもっとすごいことができる。彼女が故郷へ戻ることができれば、彼女の仲間は『十八年の一生』を克服する方法を地上の人間に教えてくれるんだぞ。おまえらはそれを邪魔して、自分の一生を十八年で終わりにしたいのか? もっと遊びたくはないのか? 俺は遊びたい」
 静寂が破られ、ざわめきが次第に大きくなる。今度のざわめきは、比較的好意的なものだった。
 ざわめきの中には、「魔法使いだってさ、よく見ればそんなような格好をしているわね」、「『十八年の一生』にやられずに済む方法を知っているのか?」、「上空へ行く方法ね、何かあったかしら」というものもあった。
「私は魔法使いじゃないよ」とトルクはケシルの耳元でささやいた。ケシルは「もちろんわかってる」とささやき返した。
 群衆はみな若い。平均すれば十五か十六かなとトルクは思った。
 『シティ』ではまだ子どもと見なされる年齢だった。だがここでは、もっとも理解力のある年齢だろうとトルクは推測した。十分に成長し、かつ、まだ死の恐怖が目前まで迫っていない。さっきまでシールドに殴りかかっていた人間までが、トルクを上へと上げる為の議論に参加していた。
 ほぼ全員が一致団結しているようだった。トルクは胸をなで下ろしながらその様子を眺めた。
 一人の男が、言葉にならない大声を出した。
 その大声に驚いたのか、場が一瞬で静まりかえった。トルクは声のした方を見た。
 その男は、周りよりも頭二つ分背が高かった。そのため、トルクからでも彼の顔がよく見えた。彼は非常に小さな丸い銀色の眼鏡を鼻にかけている。
 その男は、群中の注意が自分に引いたのを見計らってからさらに怒鳴る。
「馬鹿だなおまえら。そんなの嘘に決まっているじゃないか。こんなもの、魔法なはずがない。見てろ。おい、そこの連中。どけろ」
群衆が二つに割れた。
 おかげで彼の全身がトルクから見えるようになった。
 真っ白な白衣を着た背の高い少年だった。銀色の長髪を都市の隙間を吹く風になびかせている。両手には茶色いグローブのようなものをつけて立っている。
 少年はトルクから向かって左側で、シールドに向かって相対した。シールドからの距離は十メートルほどだった。
 少年が、腰を低くしてシールドに向かって走る。
「こんなもの、魔法なんかじゃない。ただの心理的障壁なんだよっ」
 走りながら右腕を振りかぶり、全体重を乗せるかのようにシールドに殴りかかった。
 爆音と閃光。
 瞬間の閃光のあと、トルクの眩んだ目が元に戻ってくる頃、今度はガラスの砕けるような音がして、続いて群衆の歓声が聞こえた。
トルクは少年のいる方向を見た。少年の周りで、群衆は川に戻っていた。
 少年が殴った周辺のシールドが、ややぎざぎざながらも円形に破壊されている。底に人が流入していた。出る人間と入る人間でごった返している。もうすでに、立ち止まっている人間は誰もいなかった。トルクの事を憎しみのこもった目で一瞥して去っていく人間もいた。
 動く人の流れの中で、少年だけが動かずにトルクの方を見ている。顔が笑っているように見えた。
(オルマティロッド、シールドの修復はなし。私たち二人が道路の端へ移動次第、通行障害に利用したシールドを解除して)
(了解しました)
 トルク達二人は、流れを垂直に横断して、道路の端へと移動した。

「で、あなたの望みは何なの?」
 二人は古びた建物の最上階の一室にいた。
 あちこちに書類らしき紙切れが散乱し、中央にある円形の大きなテーブルには、トルクにさえ理解の苦しむ不可解な器具が無造作に置かれている。二人はそのテーブルのそばの椅子に隣り合って腰を下ろし、向かい側には、騒ぎを起こした白衣の少年がテーブルに両肘をつけ、頬杖をついて座っている。
 トルク達が道路の端にいると、少年に「ちょっと来て欲しい」と言われた。トルク達は黙ってついていくことにした。軽程度とは言えシールドを打ち破ったということはただ者ではないと思ったからだった。
 トルクとケシルの真ん中にオルマティロッドが立てかけられていて、いつでもシールド機構が作動できるようにしてある。
 日が傾き、光の中にはオレンジが混じるようになっていた。前方にある窓から西日が射し込んでいた。
 少年は、自分の眼鏡を軽くさわってから口を開いた。
「隣の男はどうか知らないが、君は『シティ』から来たんだろ。どうやって来たんだ?」
 トルクは耳を疑った。
 街に入ってからここの部屋にやってくるまで、トルクはこの少年どころか、ケシルとも『シティ』という言葉を交わしていない。
「なんで知ってるの?」
 トルクはテーブルに勢いよく手をついて、立ち上がって聞いた。
 ケシルがトルクの手をつかみ、「慌てるな」と言ってトルクを座らせる。
「その様子では、僕のにらんだ通りだったようだ」
 そう言って、少年は近くにあった書類束を手に取った。ぱらぱらとその書類をめくり挙げ始める。
「どうやら、僕の代でこの研究は終わりを迎えそうだ」少年は顔を上げた。口元が笑っている。
「別にただ声をかけてもよかったんだが、今までの研究結果が正しい方向へ向かっているのか知りたくてね」
 少年は書類束を揃え、テーブルの上に置く。指先を小刻みに動かし始めた。
「心理的なものなんて言ってすまなかった。あれの正体は知っていたが、群衆にいらぬ知識をひけらかしてもしょうがない。あれはテスラー変動の電磁気的反発力を利用した微弱エネルギーシールドだろ」
 トルクは開いた口がふさがらなかった。少年はにやにやと笑っている。
――ここは『シティ』じゃない。地上なのに。
「あなた、何者? どこまで知っているの?」
トルクは腰を浮かせた聞いた。
 少年は乾いた笑い声をたてた。
 笑い声は音のしない空間に響いた。
「まさか、君、殴っただけでシールドが破壊されるなんて一般人みたいな考え方は、してはいないんだろ?シールドを破壊するには、位相反転したテスラー変動を利用しなくちゃならないのは分かり切っている」
「だから、それをどこで知ったの?」
「どこで知ったかって?」
 少年は両腕を広げる。そして顔を上へと上げて「ここだよ」と言った。そう言って口元を歪める。
「嘘よ。シールド機構は『シティ』でもまだ実用化されてから、百年しか経っていないのよ。地上の人間が単独で開発できるわけがないわ」
――それに、地上の人間は寿命が短いし、あなたのような若い人間に完成できるとは思えない。
 トルクは心の中でそう付け足した。
 少年は再び笑い出した。額を手で押さえて、のけぞるように笑っている。
 部屋にはしばらく笑い声だけが響き続けた。
 少年はため息をつき、トルクを見据えた。
「『百年しか』!」 少年はテーブルに両拳を叩きつけた。束ねた書類が浮き上がる。いくつかの器具がテーブルから横に滑り落ちる。砕ける音が響く。
「さすが『シティ』の人間だ。『シティ』の人間には百年という歳月は短いかもしれない。だがな、僕たちには長すぎるんだよっ!」
 少年の目は血走っていた。トルクは身の危険を感じ、オルマティロッドに手を触れた。トルクの隣で、ケシルが向こうには見えないようにナイフを取り出し、テーブルの下で握った。
「七世代だ。僕たちにとってはそれは七世代にも及ぶ年月なんだぞっ!」
 そこまで言ってから、かくんと首を折った。そしてすぐに顔を上げる。手で眼鏡を触れて大きく息を吐いた。
「すまない。僕は最近、何もかも嫌になってしまってね。『シティ』の人間がうらやましくて仕方がなかったんだ」
 トルクには目の前にいる人物の事がよくわからなかった。冷静なのか熱血なのかも分からない。シュルツの例もあるし、この少年は狂う一歩手前にいるのかもしれない、とトルクは思った。隣では、未だにケシルがナイフを握っている。
「もうそんなに警戒しなくてもいい。落ち着いた。僕は君たちに協力を依頼するためにここに来てもらったのだから」
 少年は立ち上がった。丸いテーブルの縁に沿って歩き、トルクの方へ近づいてくる。ケシルはナイフをテーブルの裏に貼り付けるようにして持った。
 少年は右手を差し出した。
「僕の名はカイ・カラツ。ファーストネームで呼んで構わない。死まではあと一年と三ヶ月。ここで『十八年の一生』を克服する方法を探している」
 百九十センチはあろうかと思われる長身。しわひとつない白衣。腰まで届く長くて細い銀髪。目は細い。鼻にかけられている小さな眼鏡は、顔に対するアクセントとしてもよく似合っている。
 トルクは『シティ』の医学エリート生のようだと思った。とても、秩序より混沌が支配している地上が生み出した人間には思えなかった。
トルクは彼の手を見て寒気が走った。
 彼の手は傷だらけだったのだ。
 やけどのような傷跡。長時間尖ったものをいじったときにできる切り傷。刀で斬られたような傷まであった。『シティ』の医学エリートではなく地上の人間だということを、それらの傷ははっきりと示していた。
 椅子から立ち上がって手を握ると、彼の手のざらざらした肌触りを感じた。
「私はトルク・エル・カミューラル。トルクでいい。歳は十六才。あなたの言ったとおり、『シティ』の人間よ。訳あって地上にへばりついているわけだけど」
カイ・カラツはトルクの手を離す。そしてケシルにも手を差し出した。ケシルはナイフを持っていない手でカイの手を握る。
「俺の名はケシル・マルサール。俺もケシルでいい。残念ながら、俺は『シティ』の人間じゃない。十七才だ。訳あってトルクにへばりついている」
「知ってるよ。君は僕が『七世代』と言ったときに全く動揺しなかった。隣のお嬢さんは目を丸くしていたというのにね」
 そう言って、カイは手を離して自分の席へと戻った。座るとテーブルに頬杖をつく。
「僕がなぜ『シティ』の事を知っているのか。それは二人にとって謎だろう。だが、そんな大した謎じゃない。それは僕にはこの部屋があるからだ。
 ここは百五十年前、ある人間が『十八年の一生』を克服するために作った部屋だ。くだらない運命に逆らおうとする人間は、いつかはこの部屋についての情報を知る。そんなことをしようとする人間なんて滅多にいないから、以前からこの部屋で研究している人間は、そういった奴の情報を簡単に手に入れる事ができる。研究している人間はそいつにこの部屋の事を教える。
 そうやってこの部屋には、代々の研究者が積み上げてきた『十八年の一生』に関する研究データがすべてそろっている。ここに来るような人間は、日々の生存競争を楽々とこなし、この問題に力をさけるほど精神的、時間的に余裕がある人間だ。それなりの頭脳を、いや、天才的頭脳を持っていると言っていい。僕もその一人であるわけだ」
 カイはくくくと笑った。そして続ける。
「この『十八年の一生』という問題を突き詰めていくと、やはり『大厄災』にまで時を遡ることになる。さまざまな先代たちの研究から、『大厄災』をほぼ無傷でくぐり抜けたグループがあること、そのグループは、『大厄災』以前の技術を発展させたすばらしい技術を持っていること、それが『シティ』と呼ばれていることがわかっている」
カイは目の前の書類束を手に取り、滑らせるようにトルクの方に投げた。書類束はばらけずにトルクの手元に滑り込んでくる。トルクは一枚を取って眺めた。乱雑な文字で書かれた数式が多数あり、中心に図が描かれている。
 円の中心から十字の直線が伸び、円周を貫通して、円の直径の三倍近いところまで行ったところで途切れている。
 四つある十字の先端のひとつには非常に小さな四角が描かれ、そこに矢印が引かれ、『アンカー』と書かれている、同じように、その四角のやや手前のところには小さな円が描かれ、矢印があり、『シティ』と書かれている。
「見ての通り、それは地球の地軸方向の宇宙から見た『シティ』の位置関係を示している。全地球的規模で考えたとき、静止衛星軌道上において、大した摂動もなしに地球に対して静止できる位置は珍しい。そこには百年前に『シティ』により壮大な建造物が建てられている。地上から衛星軌道上まで伸びた、全長四万キロにも及ぶ軌道エレベーターだ」
「なんだそれは」
 ケシルが、トルクが手に取っていた紙を横から覗いて?いた。
「文字通り、エレベーターよ。それに乗ることができれば電力のみで簡単に『シティ』まで行くことができるの」
 トルクはケシルの顔を見ながら言った。ケシルは「ふーん」と言いながら他の書類に目を通し始めた。
「けれど、軌道エレベーターは五十年前に、構造上の欠陥か何かで中央から折れてしまったんじゃないの? だから私は、『シティ』に帰る方法を見つけられなくて困っていたんだけど」
 トルクはカイに向き直って言った。トルクの記憶では、軌道エレベーターの建築材料として使っていたカーボンナノチューブによる超繊維が、経年劣化して折れたという話だった。
 オルマティロッドが『シティ』と連絡を取ることができないため、記憶を確かめる手段はない。
 カイは眼鏡を片手で触れた。目を大きく見開いてトルクを見ている。
「何を言っているんだ?先代の資料によると、エレベーターは一度だって壊れていない。あんたの記憶違いじゃないのか」
「記憶違いなんかじゃないわ。私はそう習ったもの」と、トルク。
「だが、現に軌道エレベーターは機能している」と、カイ。
「嘘よ。建設当初から超繊維の耐久期限は五十年だったわ。あれは五十年経てば折れる宿命だったの」
「折れないように新しい繊維に取り替えたんじゃないのか」
「そんなこと聞いたことないよ。軌道エレベーターが動かないのは『シティ』の常識よ」
カイは頬をゆるめた。
「じゃあ、そっちの常識が間違ってるんだ」
「そんなことは――」
「まあまあ、二人とも。落ち着けよ。現にエレベーターが動いているんなら、それでいいじゃないか」
 二人の口論に口を挟むような形で、ケシルがそう言った。トルクとカイは口をつぐんだ。
 ケシルは書類をぱらぱらとめくり、すぐにテーブルに置く。
「俺にはさっぱり理解できない話だが、ようするに『シティ』に行けるって事だろ? なら別に議論する必要はない。さっさとそこに行って、『十八年の一生』を克服してもらえばいい」
 トルクは小さく息を吐いた。
「まあ、そうだね、ケシル。カイ、それはどこにあるの? 連れて行ってほしい」
 トルクは諦めたかのように言った。それを聞いてカイは額に手を当てて笑い出した。良く笑う奴ね、とトルクは思った。
「すぐに行ける状態なら、僕が君たちに助けを求めるわけがないだろう? 推測してくれよそのくらい。行ける状態にないからあんた達に助けを求めているわけだ」
カイは立ち上がり、テーブルの下にしゃがみ込んだ。トルクから姿が見えなくなる。
 そしてすぐに現れた。両手にはグローブを持っていた。トルクのシールドを破壊したときにはめていたグローブだった。彼は二人の目の前でそれをつける。
「このグローブには、テスラー変動の位相をコントロールできる微弱エネルギーフィールド発生装置が組み込まれている。僕が先代の資料から独学で作り出したわけだが、発生できるフィールドがあまりに小さすぎるために、これを防御手段として使うことができない」
 カイは拳を突き出した。トルクは目をこらしてよく見てみた。グローブの表面にうっすらと緑色の膜が見える。微かに波打っていて、それはすぐに消えてしまいそうだった。
「この街から百キロほど離れたところに軌道エレベーターはある。だが、そこには侵入者防御用の自動攻撃システムがあるために近づくことができない。高出力レーザー兵器が備え付けられていて、地上で調達できるどんな材料でも穴を開けてしまう。一点集中されると簡単に何千度になるからな。どんなものだって融けてしまう」
 カイはそこで一息をついた。トルクの方を真っ直ぐに見ていた。
「まあ、運良く自動攻撃システムをかいくぐったとしよう。しかし、軌道エレベーターの入り口には防御シールドが張り巡らされている。一度遠距離からミサイルを撃ち込んだが、まったくダメージを与えることができなかった。僕のこのグローブの位相反転は力不足でシールドを破壊することはできない」
カイはグローブを脱いだ。テーブルの上に放る。
 トルクは軌道エレベーターについて考えた。
 ビルの最上階まで行くのに、ロケットに乗るよりもエレベーターに乗った方がエネルギー消費がより少ない。それと同じ理屈だった。静止衛星軌道上にまで物資を上げるのに、軌道エレベーターの方が、地上から打ち上げるロケットよりも非常にコストパフォーマンスが優れている。
 一旦作ってさえしまえば、維持管理という問題以外にトラブルは起こらない。普通のエレベーターと同じように電力で楽々と昇ることができる。しかも、下るときにはその勢いを利用して発電し、昇るときの電力の大半を取り戻すことができる。
 一度徹底的に『大厄災』で壊滅してしまった地上には、ロケット等という巨大構造物を作れる資材も人材もない。人間が十八年で死んでしまう状況では教育水準が低く、航空産業のような高度な産業が発展する余地はなかったのだろう。
 軌道エレベーターはそういう点でも優れた設備だ。作るのは『シティ』に任せてしまえば、地上の人間は電力供給のみをやればいい。
 だが、いつの間にか『シティ』と地上の人間との交流は無くなっていった。トルクにはそれが何故かは分からなかった。
 トルクが生まれた頃には、地上というのは禁じられた場所となり、そのことについて考えることも許されない道徳的規律ができあがっていた。
 地上からの資材の供給なしでは『シティ』は機能しない。それは今も昔も変わらない。
 現在では、資材の供給の為の土地は無人の地域が選ばれ、シールド技術を応用したエネルギー的パイプラインが地上と『シティ』を結んでいるはずだった。
 地上との関わりが不可欠だった軌道エレベーターは放棄された。放棄されたために、カーボンナノチューブの超繊維は交換されずに劣化してちぎれた。
 それがトルクの学んだ歴史だった。だが、トルクの目の前にいる少年はそれは違う、と言う。トルクは『シティ』のデータベースにアクセスしたい衝動に駆られた。情報の海から切り離されているのが耐え難い苦痛だった。調べたいことがすぐに調べられない事にストレスがたまった。
――誰かが、故意に隠蔽したんだろうか。故意だとしたら、一体、誰が、何のために?
 カイがグローブを鷲づかみにし、真上へ放り投げた。紐で繋がれたグローブは、お互いがお互いの周りを回りながら落ちてくる。それをカイはもう片方の手で受け止めた。
「僕の予想では、この自動攻撃システムは地上の人間を近寄らせないようにする為に置かれている。『シティ』の人間が常に携帯しているという杖の機能があれば、この程度の攻撃を防ぎきることが出来、入り口の防御シールドを中和できるのだろう。つまりは、軌道エレベーターは『シティ』の人間のみが利用可能になっている。地上の人間は排除している」
 カイは受け止めたグローブを再びテーブルの上に置いた。そしてトルクのオルマティロッドを指さす。トルクは思わず杖を掴んだ。
「その杖、あんた達が通行人の流れを止めるのに使っただろ? 僕はその光景を見るまで杖の実在を信じていなかった。代々の研究結果の中に、杖を手に入れられれば軌道エレベーターに行けるのではないか、というっものがあった。だけど、僕には万能の道具というものが存在するなんて信じられなかった」
 カイは大きく首を振り、指先をトルクに向けた。
「馬鹿げているだろう? 僕は道具は用途に応じて使い分けるべきだという信念があったのさ。その考え方そのものが、『シティ』が忌む地上人の性向だというのにな」
カイは立ち上がった。カイの後ろで、椅子が倒れるがたんという音がした。
「あんた達が実際に使用したところをこの目で見たとき、僕は目を疑ったよ。先々代が予測した通りの結果だったからな。僕は興奮した。これで『十八年の一生』の謎が解けるんだとね」
 カイは片手でテーブルを叩いた。顔が紅潮している。
「わからないかなあ! 『十八年の一生』は、僕たち短命の地上の天才達にはどうしようもなくなっていたからだ。病原菌の仕業だと思って、死にかけるくらい自分の血を抜いた人間もいたし、適当に人をさらってきてその人に針やら電極やらを刺して、その人が『十八年の一生』に食い尽くされる過程を逐一記録に取った人間もいたよ。けれど、研究すればするほど、『十八年の一生』は地上の人間の奥深くで繋がっていることがわかった。僕たちの検査機器の精度では原因すらわからないんだ。当初の目的である『十八年の一生』から地上の人間を解き放つことは不可能に思えてきた。だから、僕たちは三十年前から、『十八年の一生』そのものの研究の他に、高度テクノロジーを持つ『シティ』との世色方法を研究することにしたんだ。他力本願なのは本意ではないけれど、『シティ』なら解決策があるはずだと思ってね」
カイの口調は熱を帯びていた。テーブルの縁を歩きながら、カイはトルクの方へと近づいた。トルクの目の前のテーブルの上に片手をつき、身体をかがめ、トルクの顔をのぞき込む。カイの目はぎらついている。
「そこに、杖を持つ『シティ』の人間が現れた」
「あまり顔を近づけないでよ」
 トルクは、近づけられた顔から離れるように椅子を後ろへ下げた。「ふん」と言いながらカイは顔を引く。
「で、実際はどうなんだ? 『シティ』は『十八年の一生』を克服する策があるのか?」
「トルク、それは俺も聞きたいな。今まではっきりと聞いていなかったし。君は解決策が見つかるとは言ったが、一体、どういう解決策があるんだ?」
 黙りっぱなしだったケシルが、トルクの手を掴んで言った。
 西日は辺りの影を長く引き延ばしている。あと三十分もすれば完全に日が落ちそうだった。
 今までケシルから聞いた話によると、『十八年の一生』が病原菌のたぐいということは分かる。病原体などは、非老化処置が完成されたときに、とっくに完全な撲滅方法が確立されている。きっと『十八年の一生』を撲滅することは容易いとトルクは思った。
 けれど、とトルクはまた思う。
――結局、『ヘリウムフラッシュ』の問題を解決させなければ、『十八年の一生』を撲滅したところで意味はない。何か策を打つべきは『ヘリウムフラッシュ』だ。何もしなければ一年後にはみんな死んでしまう。
 トルクはケシルとカイの顔を交互に見比べた。両方とも『シティ』にいてもおかしくない顔だった。たまたま地上に生まれてしまったから十八年しか生きられないだけだった。「トルク?」
 ケシルが言う。目が合っていた。トルクは慌てて目をそらす。小さく息を吸い、吐いた。「『シティ』はとうの昔に、病原体による病気を克服しているの。どんな最近、どんなウイルスであれ、一時間もあれば完全な抗体を作ることができる。抗体を体内に入れれば、『十八年の一生』に悩まされることなんてなくなる。何十年も生きることができるようになるわ。だ、大丈夫。『シティ』の事を信じて」
「本当か? そんな簡単に『十八年の一生』を克服できるのか? もし原因が病原体じゃなかったらどうするんだ? 遺伝子レベルの時限装置だったら?」
 カイは再び身を乗り出し、トルクの顔をのぞき込むように聞いた。トルクは彼の肩をやんわりと押し返す。
「だ、だから、顔をのぞき込むのはやめてって言ったじゃない。す、すべては『シティ』に行けば解決するよ。遺伝子レベルだとしても、それはナノマシンで修復すればいいだけの話だし」
 カイの顔がぱっと輝く。自分の席の方へと走り、グローブをはめてはね回り始めた。トルクにはそれが、夕日で伸びた自分の影と踊っているように見えた。
「よっしゃあっ。僕の代で『十八年の一生』の呪縛から解き放たれる! これで十八才の誕生日を笑って迎えられるんだっ。僕は学び足りなかったんだっ」
 カイはくるると回転して、トルクの手を取って立ち上がらせた。椅子がトルクの足に当たって倒れた。
「あんたが僕たちを『シティ』につれていってさえくれれば、万事解決だよっ」


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創作時期 July 2001 改稿時期 April 2003

これは工房長co_metのオリジナルです。この作品の無断転載を禁じます。


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