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蒼天の星

6、『大厄災』を経験した男




 灰色の床。灰色の天井。灰色の壁。彼を取り巻く環境には灰色が多い。
 現在の『シティ』の最高権力者である市長であり、トルクの父でもある男、リチャード・イー・カミューラルは灰色が好きだった。
 市長は、灰色の執務机に置かれた長方形の半透明フィルムを眺めている。
 物事に絶対的な基準はなく、絶対善や絶対悪は存在しない。白でも黒でもない、中間色としての灰色はそれを象徴しているように市長には思えた。
 あるのは、より白に或いは黒に近い灰色だけだ。
 どんなに正しいと思って下した決断も、それはいくらかの黒を含んでいる。白であることはなく、必ず灰色である。ただ他よりも黒が少ないと思うからその決断をしたのであって、それが真に正しいからではない。
そして、灰色はまた許容する色であると市長は思う。
 不純物が混じっている色だからこそ、どんなに継ぎ足しても純粋な色にはなれない。自分たちは灰色の濃さを調節するのであって、灰色という色を変えることは誰にもできない。
 どのような色を混ぜても、それはやはり灰色である。赤っぽい灰色も灰色だ。青っぽい灰色もまた灰色だった。
 市長は半透明フィルムを凝視した。
 対角十五インチの半透明フィルムモニターには、多目的電波研究施設の最新の太陽観測データが表示されている。三次元棒グラフや球グラフがゆっくりとモニターの中で回転している。市長自身は科学に強いわけではないが、わからないなりにもデータを見、データに添えられているコメントを読むのは重要なことだと信じていた。
所詮みな灰色なのだから、人は自分の決断にある程度の自信を持つことができる。
 フィルムにはこう書かれてある。
『トルク嬢の言うセルシウス効果を観測。セルシウス効果は太陽内部のマイクロブラックホールの存在を証明しており、これにより導かれる結論は、トルク嬢の論文内容と細かい点まで一致する。彼女の洞察力は驚嘆に値する。一六才という年齢は様々な慣例を破ることになるが、我々多目的電波観測施設観測チームは、トルク嬢のプロジェクトへの参加を望む』
 市長はため息をついてフィルムのスイッチを切った。ゆっくりと色が薄れていき、フィルムはただの半透明のシートに変わった。市長は小さく息を吐き、首をゆっくりと回す。
トルクの行方は分かっていない。『シティ』のどこにも見つかっていない。トルクの最後の目撃情報はダストシュートだった。だから彼女を当てにすることはできない。プロジェクトチームには、トルクは諸事情で来られないということを伝えなければならない。
 市長は両肘を机につき、頭を抱えた。
「『ヘリウムフラッシュ』は起こるというのか」
――二百年前の『大厄災』の時のように、決断を下さなければならないのか。
 市長は頭を掻きむしりながら『大厄災』の時のことを考えた。
 二百年前、市長はまだ五十才だった。
 だがすでに市長でもあった。
 その頃は、細胞をナノマシンで活性化する非老化処置などは開発されていなかったため、五十才という年齢は市長として適正の年齢だった。
 彼は、今でも、あのときの決断の様子を思い出すことができる。
 予兆が発見されたのは、今から二百五年前、『シティ』の多目的電波研究施設だった。
 二百五年前、彼はその年に市長に選ばれたばかりの若手だった。その時の彼は熱意に溢れ、彼の全ての情熱が『シティ』の発展に費やされていた。
 その時に、市長は今も執務を執り行っているこの部屋で、ある若い研究員から報告を受けたのだった。
『ある直径二十キロメートルの小惑星が、地球衝突軌道をとっている事が分かった』と。
 決して避けることのできない、人類の滅亡すらありえる規模の小惑星。その当時、衛星軌道上にある無数の建造物の一つでしかなかった『シティ』の市長にとって、それは手に余るほどの規模の問題だった。
 その時、市長は決断を下した。
 彼は人類よりも『シティ』を選んだ。
 もし小惑星のことを地球に報告すれば、自分と同じ立場にある多くの軌道上構造物が同じ事をしようとするだろう。そうなれば、自分たちの『シティ』の為の資源調達がうまくいかなくなるかもしれない。
 市長はどこにも報告せず、計画を極秘裏に行った。
 人類全体がこの小惑星に気づいたのは、『シティ』が発見してから三年後だった。衝突まで二年しかない状態では、対策を立てようにもどうしようもなかった。マスコミが騒ぎ立て、溢れるほど人間を抱えた地球はどこにも行くことができなかった。
 その時にはすでに、『シティ』の準備はほとんど終わっていた。
 地球引力圏からの脱出。
 衝突が起こった場合、地球の人間達が、衝突の直接の影響を受けない静止衛星軌道上の構造物群に助けを求めることは容易に推測できた。静止衛星軌道上の構造物群は百パーセント近く地球の資源に依存している。間違いなく資源の取り合いになるだろう。
 それらの影響のないところまで、つまりは月軌道にまで、『シティ』を移動させてしまおうという計画だった。資源は月から採掘すればいい。他の衛星軌道上構造物群が同じ計画を思いついた頃には、脱出のためのもろもろの資源は『シティ』が溜め込み、独占していた。
 衝突の一年前、『シティ』はゆっくりとだが着実に、地球の重力井戸をはい上がっていった。それを追ってくる衛星軌道上構造物群は一つもなかった。ただ電波での抗議が殺到した。
 そして、『大厄災』。
 市長はそれを、月の周回軌道上に移動させた『シティ』の執務室で眺めていた。市長は思い出すたびに胸のむかつきを覚える。自分の灰色が極限にまで黒かったのではないかと考えてしまう。
 人類は核ミサイルを命中させて小惑星の軌道をそらそうとした。小惑星側を向いている地球の半球で、何百もの核弾頭が発射された。
 だが、衝突タイミングが合わなかった。あるものは全く当たらず、非道いものは当たる前に地球の周回軌道に入ってしまった。
 小惑星に命中した一部の核弾頭群は、それの軌道を変えることができなかった。何十個かのかけらに分割しただけだった。そのかけらすべてが衝突軌道に入っていた。
 人類は失敗した。
 市長はモニター越しに見ていた。
 一つ、また一つ、炎の花が咲いてゆく。大気が悲鳴を上げていた。地球という青いキャンパスが赤と茶色の絵の具に蹂躙されていった。
 被害は小惑星側を向けていた半球だけではなかった。衝突の直接の被害を受けた地域は、衝突直前に、被害の受けない地域に向けて核ミサイルを発射していた。
「おまえらも道連れだ」という感情があったのだろうと市長は思う。様々な人種の様々な国家が乱立する狭い地球では、最後の最後まで主義主張の争いが繰り広げられた。
 直接の衝突を免れた地域でさえ、舞い上がった塵で甚大な被害を受けてゆっくりとした滅亡へと向かうというのに。「なぜ自分たちだけが」という思いは、死ぬ間際の人間の判断能力を奪った。
 地球の被害は決定的なものとなった。星は茶色くなっていた。
 市長が地球衛星軌道への帰還を決めたのは、『大厄災』から十年後だった。
 核の冬がおさまり、放射能が人間に害を与えないレベルにまで減少したか確認するには、その程度の時間をかける必要があった。月資源を採掘し、地球へ戻るために必要な物資を溜め、『シティ』市民が『大厄災』の現実を冷静な目で見つめるためにも十年が必要だった。
 市長は非難されていなかった。
 市民の多くが、だれかが決断をしなければならないことを知っていた。そしてそれは市長しかいないことも知っていた。市長の決断は人類を裏切るようなものであったが、『シティ』を地球から逃れさせることによって、結果的に少数の人間は生き延びて人類の滅亡を防いだと考えられた。
 静止衛星軌道上に戻ってきたとき、そこには無数な残骸が漂っていた。すべてが静止衛星軌道上の他の構造物群のなれの果てだった。爆発物ではじけ飛んだようなものもあれば、無傷のまま無数の乾燥死体を積んでいるものもあった。まともに機能しているものは何もなかった。
 月へと避難している十年の間に非老化処置が開発され、『シティ』の人間は望むだけの長さの生を生きられるようになっていた。市民達はその生の長さを利用して、無人の惑星を復興させようと思った。それが自分たちの罪滅ぼしになると思ったのだ。
だが、地球には人間が生き残っていた。核の冬を乗り越えるだけの生命力が人間にはあった。ぼろぼろになった高層アパートで雨をしのぎ、もはや誰もプレーすることのない野球場で野菜を育てていた。
 『シティ』の人間が地球に再入植するだけで良かったはずの地球復興の計画は、『大厄災』を生き延びた人間達を考慮に入れて訂正しなければならなくなった。
 市長はそこで決断を下した。
 だが、その決断の内容は誰も知らない。市長はどこにも記録を行わなかった。直接に決断を実行に移した人間の記憶は、実行が完了すると共に消した。決断の内容は市長の脳内にのみ存在する。
 市長のその決断のおかげで『シティ』が順調に発展を続けてきた。市民は市長の卓越した手腕によるものだと思っている。
 市長は顔を上げ、机の上の『ヘリウムフラッシュ』の概要が書かれた紙を眺めた。それは市長でもわかるように書かれてある。

 太陽の輝くエネルギー源は、狭い中心部のみで発生している。
 エネルギーを作り出す太陽の中心領域は太陽半径の三十パーセント、体積で十パーセントである。密度は非常に高く、一立方センチあたり一百六十グラム(鉛の十倍以上)にもなるが、温度が千五百万度と高いため、物質はガスの状態にある。
 そこでは、核融合により、水素の原子核四個あたりヘリウム原子核一個が生成され、莫大なエネルギーが作り出されている。
 ヘリウムはいわば物を燃やしたときにでる灰のようなもので、正常な太陽の核融合反応では、用済みとなった廃棄物だ。廃棄物は太陽が燃焼を続ける内に、次第に中心部にたまっていく。そしてだんだんと燃焼点は中心領域の外側へ移っていく。
 ヘリウムは簡単には核融合反応をしない。
 その為に廃棄物と表現される。だが、内部温度が一億度を超えると、水素原子の燃焼が止まり、その廃棄物ヘリウム原子が突然爆発的に核融合反応を始める。
 これが『ヘリウムフラッシュ』という現象で、核爆発が星の深い部分で起こり、すさまじいエネルギーの放出を伴った膨張を引き起こされる。
 ヘリウムがなくなるまで反応は続き、ヘリウムがなくなると水素が燃え始め、再びヘリウムが作り出され、そのヘリウムが再点火されて『ヘリウムフラッシュ』が起こる。
 この周期は星が膨張を続けるにつれて短くなっていき、最終的に太陽の大きさは、水星と金星を飲み込んで地球の軌道にまで達すると予測されている。通常は太陽が五十億年先に経験することであり、直接人類には関係がない。

 市長は紙を机の上に投げて、天井を見上げた。灰色の天井には蛍光灯が埋め込まれている。
 トルクの理論による予測では、太陽は正常な状態から、いきなりこの『ヘリウムフラッシュ』を起こすらしい。太陽内部にあるマイクロブラックホール水素の正常な核融合を乱しているからだという。
 不確定因子が多すぎて、最初の『ヘリウムフラッシュ』が起こるとどうなるかは、トルクの理論からは予測できない。通常通りの『ヘリウムフラッシュ』だとすれば、何度も何度も『ヘリウムフラッシュ』が起こり、太陽は地球軌道にまで膨張し、地球を完全に飲み込んでしまう。そうなれば、人類に残された道はない。
 太陽が何回『ヘリウムフラッシュ』を起こすか。それが問題だった。
 今度は、月へ逃げたところでどうしようもなかった。太陽的スケールから見れば、月は地球と同じ位置にあるのだから。
――だが、策がないというわけではない。
「私は、また決断を下さなければならないのか」
 市長は顔を下げた。灰色の事務机が黒く汚れているように見えた。それは全体的に黒っぽくなっていて、拭いても消えそうになかった。
 身体は非老化処置で健康そのものだった。だが、心は二百五十年もの歳月で老朽化していると市長は思う。理論的にはいつまでも生き続けることができるが、実際は心が二百五十年で寿命に来てしまうのではないか。人間は永遠を受け付けないのではないか。
――もしかすると、非老化処置なんてものを開発してしまったから、ヘリウムフラッシュが起きるのか。人間が永遠を手に入れることを阻止するために、自然がそうしたのではないか。
 市長は首を振る。小さく息を吐く。
「そんなはずはない。上位の存在などいない。上位の存在は心の弱い者が作り出した幻影だ。私はそのようなものには屈しない」
 市長は何も映していないフィルムモニターを眺める。フィルムは薄暗く、机の色を濃く黒くしていた。
――今度の決断は正しいのだろうか。いや、より白に近い決断だろうか。
「私しかいない、私しか決断のできる人間はいない。私より『シティ』の事を知っている人間はいない。私より『シティ』の事を想っている人間はいない。私は何者にも屈しない」
 誰もいない執務室で、市長は自分に言い聞かせるように呟いた。そしてゆっくりと顔を上げる。
 目線の先には何もない。ただ、廊下へと至る扉があるだけだ。
 市長は再び目を下に落とす。事務机の横に備え付けてあるマイクを掴んだ。マイクは『大厄災』前から使っている旧式だった。大きく、不格好で、洗練されていなかった。だが、市長はそれが好きだった。親指でスイッチを入れる。フィルムモニターに光が戻り始める。
 空いている手でフィルムモニターを操作し、回線を開く。市長は大きく息を吸った。
「多目的電波研究施設へ通達。ただいまの時刻をもって、作戦の実行を許可する。『シティ』全市民のすべての作業よりも、この作戦は優先される。だが、すべて極秘の上で実行に移せ」
 一息で言い切り、市長はうつろな目で扉を睨んだ。
 市長は決断を下した。


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創作時期 July 2001 改稿時期 April 2003

これは工房長co_metのオリジナルです。この作品の無断転載を禁じます。


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