蒼天の星

四、金属加工屋




「シュルツ、いるんだろ、入るぞ」
 ケシルが醜く変形したサッシを勢いよく開けた。店全体が大きく軋む。トルクはケシルの後に続いて店の中に入った。
 店の中はもうもうとしていた。金属色の粉塵が天井から絶え間なく舞い落ちている。床の上には五センチ近く粉塵が積もっている。足を入れると足首まで埋まり、ざらざらとした粉が足に入り込んでくる。
「これは全部、金属を加工するときに出る粉なんだ。店主のシュルツは店を掃除する気がない」
 ケシルが頭の粉を払いながらトルクを振り返った。トルクは粉がのどに入らないように片手で口を押さえていた。ケシルはあちこちの歪んだ形の金属片を指さす。
「これらが依頼品。電動ドリルやヤスリを使って――」
 ケシルは部屋の隅を指さした。そこには大きな緑色の三角定規や、巨大なコンパスがあった。他にも、大きなネジのようなものもある。手のひらほどもあるネジで、トルクには何の用途に使うのかわからなかった。
「――ああいうものを作る」
 そこら中に様々な工具が放置されていた。ナイフ状のもの、電動ノコ、ハンマー、ドライバーなどがある。どの工具も粉塵にまみれ、灰色っぽい色になっていた。
 ケシルが自分のリュックから布巾を取り出した。それを半分にちぎってトルクに差し出す。
「手よりもいいだろ」
 トルクは布巾を受け取った。茶色で、ほんの少し湿っていた。口に当てるとガスのような匂いがした。
 布巾を口に当てて、二人は粉塵を吸い込まないようにして慎重に店内を進んだ。
「本当に凄いね。よくこのままで平気でいられるよ……」
「あいつももう十七と六ヶ月だからな。粉塵に殺されなくても『十八年の一生』にやられるから、どっちでも大して変わらないと思って気にしていないんじゃないか」
 ケシルは背丈以上の金属板をどかしながら言った。トルクはケシルが作り出した道に沿って注意深く歩く。
 話すことをすべて話したあと、トルクの気持ちは暗く沈んでいた。ケシルはトルクが『天使さま』ではないことに安心したのか、対照的に明るかった。
 トルクは布越しにため息をつく。目をつぶり、首を横に振った。
トルクは『十八年の一生』というものが存在することが信じられなかった。地上は悲惨な状態、野蛮な状態になっているということは聞かされていたが、ケシルから聞かされた『十八年の一生』というのはトルクの想像以上だった。
――人生が十八年しかないというのは、どういう気持ちなんだろう?
 ケシルにはそのことを聞けなかった。もし『十八年の一生』がケシルの嘘でなければ、ケシルはあと一年しか生きられないということになる。それは軽々しく聞いていいことのようには思えなかった。
「シュルツ! どこにいるんだ? 奥にいるのか? 客が来たときくらい返事しろよ」
 ケシルはそこらに転がる金属をどける作業を楽しんでいるように見えた。ケシルはもう口に布を当てていなかった。時々咳き込みながら両手で次々と金属片を放り投げている。その姿は生き生きとしていた。トルクには、とても一年後に死ぬ人間には見えなかった。
 店の奥の方から「こっちへこい」というくぐもった声が聞こえた。
 ケシルはトルクを見て微笑んだ。トルクはぎこちなく笑みを返した。
 二人は足下に散らばる工具類を不用意に踏みつけないように、足の置く場所を選んで歩いた。ケシルが足で床の粉を蹴り飛ばし、そこに刃物類がないことを確かめる。見えた床はすぐに周りの粉で埋もれていく。埋もれていく前にトルクは続いて足を出す。
 同じようにして店の奥の部屋を二つ通り抜けると、座り込んで金属粉塵にまみれている少年を発見した。トルクは「あっ」と小さく声を上げた。
 彼は右手に回転する円盤の付いた工具を持ち、左手にオルマティロッドを握っている
 少年は、器用に額にある金属の四角いマスクを下ろした。右手の工具の円盤が徐々に回転していく。回転した円盤は杖に触れると金切り声を上げた。火花が散り、辺りが明るくなる。少年のマスクに火花が当たり跳ね返る。二人はその少年の様子を横から見ていた。
 火花を散らすにつれて、工具の円盤が小さくなっていった。削れているのは杖ではなく、工具の方だった。
 円が最初の半分の半径になったところで、少年は首を横に振り工具を杖から離す。回転円盤がゆっくりと停止した。
「やはり切れない。いったいこの金属はどのような組成をしているんだろう……」
 少年はぶつぶつと喋った。
「おい、シュルツ」
 ケシルが呼ぶと、その少年はマスクを額に上げて二人を見た。トルクと目があった瞬間に、少年はにやけた。
「よお、ケシル。隣にいるのはおまえの彼女か? 一人で生きて一人で死ぬんじゃなかったのかよ」
 シュルツはトルクに視線を下から上へと走らせた。ぎらぎらした瞳が昆虫のように動く。その視線がなめ回すようで、トルクは気持ち悪く感じた。
「随分といい女じゃないか、おまえには勿体ないよ」
 ケシルは、背中に背負っていた折りたたんだテントを床に下ろした。金属粉塵がもうもうと立ちこめる。トルクは思わず目をつぶった。
「彼女とはそういう関係じゃない。今日はこの前取り替えたその棒を返しにもらいに来た。その棒は彼女にとって非常に大切なものらしい。テントは返す」
 シュルツはトルクから棒へと視線を移動させた。粉まみれになった棒を持ち上げ、軽く回して粉を飛ばす。彼は棒の先をトルクに突きつけた。
 トルクは軽く後じさりした。
「異常に軽量。異常に頑丈。一週間、俺はこの棒に傷一つつけることができなかった」
 シュルツは腕を振り上げて、杖を床にたたきつけた。どん、という大きな音が鳴り、粉塵が舞い上がる。
「どんな方向への負荷でもこれは折れることがない。理由を教えてくれないか? 教えてくれるのなら返してやる。教えてくれないのなら、返してやれない。その謎について研究しなければならないからな。解き明かせば俺の金属加工技術はもっと上がる。売り物にするはずだったが、俺はもう売る気はない。こんなおいしいものをそのまま手放すことはしたくないぜ、嬢ちゃん」
 シュルツはもう一度トルクに杖の先端を突きつけた。粉まみれの顔が粉まみれの歯をむき出しにして下品に笑っている。トルクは嫌悪感を持った。シュルツは「おまえにはその理由なんてわからないだろ」と言いたいかのようだった。人を見下している笑いはトルクは大嫌いだった。
 粉塵は舞い続けている。布越しにも粉が口に入ってくるような気がして、トルクは布巾をぎゅっと押さえた。
 周りの環境も、そこにいる人間も、トルクには我慢ならなかった。
 トルクはゆっくりと布巾を口から離した。すぐにざらざらとするような空気が喉に入ってくる。
 シュルツの方を見据え、軽く息を吸う。少し微笑んでから一気にまくし立てた。
「金属表面には、テスラー変動による電磁気的反発力が生じているの。この杖に施されているのは物質の堅さの本質が電子の反発力であることとテスラー変動の本質的不安定性を応用した、複合的微弱エネルギーフィールドだけど通常の物理的試行では破壊できないわ。切断したいのなら、同様の処理を施した切断道具でないと無理」
 一息をつき、シュルツに向かって再び微笑みかける。
「え?」と、シュルツとケシルが同時に言った。シュルツは口を半開きにしている。トルクは目の前に突き出されているオルマティロッドをつかんだ。
「説明したんだから、返してもらうよ」
「テスラー変動? 複合微弱エネルギーフィールド?」シュルツがオウム返しに聞く。トルクは杖を引っ張るが、シュルツは手を離そうとしない。
「ええ。それより、早くその手を離してほしいんだけど」
「そんな金属加工技術、今まで一回も聞いたことがないぞ。俺にわかるように説明しろ。そうしなければ返さない」
 トルクは肩をすくめた。テスラー効果を知らない人間に対してこの杖に施されている処理を説明することは、かけ算も知らない子供に対して微積分を説明するのと同じくらい大変なことだった。そんなことはできるはずがない。
 トルクは心の中で微笑んだ。手にはオルマティロッドの感触がある。手は杖に触れているのだ。
「オルマティロッド、起動。音声出力有り」
 トルクがそう言うと、杖がかすかに振動した。それに驚いてシュルツは目を丸くした。
「今何かしたか? おい、何をしたんだ? これ、震えてるぞ」シュルツが言う。
「起動しました。このロッドはトルク・エル・カミューラルの所有物です。それ以外の人間の使用は『シティ法』第二三条で禁じられています。所有者かどうかの遺伝子チェックを行います。皮膚サンプルを摂取するために小さな痛みを伴いますが、健康には何の影響もありません」
 オルマティロッドは男声とも女声ともわからない無機的な音声を発した。それとともに、全体が翡翠色に光り出す。ちくっとする痛みがトルクの手の先に生じた。シュルツがトルクを睨み付けた。
「一体、何をしやがったっ! 指に何か刺さった。急に光り出したぞ」
「現在、このロッドを握っているのは二人です。片方を所有者と認識しました。オペレーションモードに移行します」
「シールド機構作動して」
「了解」
「うわっ」
 オルマティロッドの中心が緑白色に輝き始めた。その輝きは脈打ちながら次第にトルクの方へと移動した。
 トルク側の杖の先端から、黄緑色の光の球面波が放たれた。小さい球が徐々に大きな急に変化していく。球は部屋に充満している粉塵を押しのけながら、トルクの周りに広がっていく。ケシルはトルクから二歩離れた。
 広がりに押され、シュルツは杖から手を離した。床に尻餅をつくとすさまじい量の粉塵が舞い上がる。その隙にトルクは杖を強く引っ張り、取り返した。
「杖は返してもらったわ」
 トルクは杖を半回転させて縦に持った。シールドが粉塵を押しのけたため、トルクは大きく息を吸い込んだ。空気は透き通っているようで気持ちよかった。
 シュルツは粉まみれになりながら膝をついて立ち上がった。顔は怒りで歪んでいる。ゆらりと身体を傾かせ、シュルツは床の粉だまりに手を突っ込んだ。
 シュルツはにやけながら粉の山から手を引き抜いた。彼の手には電動チェーンソーが握られていた。ふらふらとしながら、後端のスイッチを押す。激しいうなりを上げて刃が回転しだした。シュルツの足下の粉が振動して外側に動き出す。
「女だからって、容赦しねえ。ここは俺の店だ。それは俺のモンだ。何をしたのか知らねえが、俺を侮辱しやがって。殺す」
 目つきは鋭く、目は濁りきっていて異様だった。チェーンソーを持つ両手は振動以上に痙攣している。シュルツはチェーンソーを左へ構えてゆっくりとトルクの方へと歩いてくる。トルクは胸のむかつきを覚えて一歩後じさった。
 トルクが下がると、ケシルがシュルツとの間に立ちふさがった。両手を広げている。
「ちょっと待て、シュルツ。彼女は何もしていない。自分の持ち物を返してもらおうとしただけだろ」
 チェーンソーのやかましい回転音に包まれる室内で、ケシルは大声で言った。そしてトルクの方を振り返り、親指を立てる。
「それは俺のモンだ。邪魔するならおまえも殺す」
 トルクは壁を背にして様子を見ていた。ケシルのジェスチャーの意味はさっぱりわからなかったが、状況から考えて「俺に任せろ」だということはわかった。杖があればチェーンソーなんて怖くないのに、と思いながら、左手で十字架を掴んだ。
 それにしても、この人間は何なんだろう、とトルクは考える。私はただ自分の持ち物を取り返しただけだというのに。変な武器を持ちだして「殺す」というのは、どういう神経をしているのだろう。
「訳わかんない」
 トルクは小さな声でつぶやいた。それはすぐにチェーンソーの音にかき消された。音はトルクのおなかでも振動していた。
 杖を握っていると、不思議と気分が和らいだ。
「この棒は『天使さま』の技術で作られているんだ。お前がわからないのも無理がないんだよ。こんなものを持っていても持て余すだけだ」
「持て余すかどうかは俺が決める。だからそこをどけろっ」
「無理だって。お前は寿命が残り六ヶ月しかないだろ。絶対に無理だ」
 ケシルは身体を左右に揺らしながらゆっくりと前へと歩いた。
「うるさいっ」
 シュルツはケシルにめがけて左から右へチェーンソーを薙いだ。
 ケシルは身体を反らせ唸る回転刃をよける。重いからかシュルツはとっさに次の攻撃へ移れない。その隙をついてケシルは足下の金属片を拾い、投げた。シュルツの手首に命中する。シュルツの顔が苦痛に歪み、チェーンソーが床に落ちた。金属粉塵は回転刃に当たって激しく飛び散らかされた。
 刃の回転が止まる。急に辺りに静けさが戻る。
 トルクが「あっ」と呟いた。ケシルは前進しながらシュルツを壁へと追いつめる。シュルツの胸元を片手で掴み、反対の手でシュルツの首筋に切っ先鋭い金属片を押し当てた。
「動くなよ。死にたくないのならな」
 ケシルは低くよく響く声で言う。シュルツは目を見開いたまま両手を挙げた。
「参った。降参だ。俺が悪かったよ。手を離してくれ」
「あの女に手を出さないと誓うか」
 ケシルは金属片を強く押し当てた。シュルツの首筋に赤い線ができる。
「あ、ああ。誓うよ」
 ケシルは手を離した。
 シュルツは壁に沿うようにへたり込む。ケシルはトルクの方を向き直り、笑った。
「もう大丈夫。こいつ、自分が侮辱されたと思ったらすぐにキレるんだ。職業的に凶器はいくらでも転がっているから、危なっかしい性格だよ」
 ケシルは動かないチェーンソーを蹴飛ばしながら言った。
「トルク、怪我はないよな」
「え、ええ」
 トルクはオルマティロッドのシールド機構の発動を解除した。緑色の光は消え去り、空気に再び粉塵が混じる。
「よくチェーンソー相手に戦えるね」
 トルクがそう言うと、ケシルは笑った。
「こいつ、運動神経無いから。最初の一薙ぎさえかわせれば、あとは楽なもんさ」
 それが謙遜だということをトルクはわかっていた。並大抵の実力じゃ刃物を持つ相手には勝てない。ケシルは危なげなく最初の一薙ぎをかわしていた。『シティ』で行われる格闘技大会に出場しても十分上位を狙えるに違いないとトルクは思った。
 ケシルはチェーンソーをシュルツが届きそうにない部屋の隅へと蹴り飛ばした。そしてシュルツの前へと戻る。
「おい、シュルツ。起きろ。俺たち帰るからな」
 ケシルがシュルツの顔をひっぱたいた。一瞬シュルツの顔が大きく横に向き、戻る。が、シュルツは目を開かない。ただうつむいている。ケシルが肩を持って大きく揺するが、ぴくりとも動かなかった。
「おい、シュルツ! 起きろよ」
「どうしたの?」
 トルクはシュルツのいる壁へと歩み寄った。彼はどこにも外傷が無く、ただ眠っているように見えた。頬には赤みが差している。
 ケシルはしゃがみ込んだ。トルクからはケシルが何をしているのかわからなかった。トルクが近寄ろうとすると、ケシルは片方の手を挙げて制した。
「行こう」
 ケシルは立ち上がりながら言う。そしてそのまま入り口の方へと歩いていった。トルクはシュルツを見た。シュルツはうなだれるように壁に寄りかかっている。折り曲げられた膝の上にある手は傷だらけで、あちこちが赤黒く変色している。
 遠くでサッシを引く音がした。トルクは慌てて入り口に向かって走った。

 金属加工屋を出ると、コンクリートの地面が照りつける太陽の光を反射して目が眩んだ。
 ケシルが二十メートルほど先を歩いているのが見えた。
 刺すような陽光にトルクは目をつぶる。金属加工屋の薄暗い明かりに慣れていた目には陽の光はきつすぎた。トルクはしばらく店の前で立ち止まった。
「ねえねえ、お姉ちゃん。なんかうまいものないー?」
 子供の声でトルクは目を開けた。自分の腰くらいの背の高さの子供が数人集まっていた。
「シュルツ大兄から食べ物もらったんでしょ? ねえ、俺らにも分けてくれよ。最近大兄俺らのこと構ってくれなくて」
 どの子供も金属片を持っている。金属片はどれも歪んでおり、どんな事にも使えそうにないような代物だった。ぼろぼろのTシャツを着た少年少女は、目だけをきれいに輝かせてトルクを見ている。
「ねえ、シュルツ大兄が好きな金属片たくさん集めたんだよ? それなのに最近一週間は大兄店にこもってばかりで私たちの事を相手にしてくれない。いつもは金属を集めてきたら食べ物くれるのに」
 子供の一人がおなかに手を当てながら言う。
「自力で食べ物見つけてくるのってすごい大変なのお姉ちゃんも知っているでしょ? ダニエル大兄はもう十八年経っちゃったし、シュルツ大兄が食べ物くれないときっと僕たちの一人くらいは飢え死にしちゃうよ」
 一人の子供がトルクのコートを引っ張った。ポケットを見つけると、嬉しそうにそこに金属片をねじ込んだ。
「ほら、これあげるからさあ」「あ、俺も」「私もー」
 トルクのコートの引っ張り合いが始まった。子供達は押し合いへし合いしてトルクのポケットに金属を入れようとする。身体を前後左右から引っ張られて、トルクは立っているだけで精一杯だった。トルクはこの子達になんて言えばいいのかわからなかった。
「おい。行くぞ」
 気が付けばケシルがトルクの近くにいた。ケシルは杖を掴んで歩き出した。トルクは引っ張られるまま歩き始めた。子供達はまだポケットに金属を詰め込もうとしている。
「ほら、あっちいけ。これやるから」
 ケシルはリュックからチョコレートを取り出した。子供達の手の動きが止まる。トルクから離れ子供達はケシルに殺到した。
「ほら」
 ケシルは大きく振りかぶり、チョコレートを投げた。青空を銀紙に包まれたチョコレートが飛んでいく。くるくると回転して、時折陽光が煌めいた。
 子供達は一斉に駆けだしていった。
「ケシル、どうもありがとう、ってあれ?」
 ケシルはすでに十メートルほど先を歩いていた。トルクは小走りでケシルを追いかけた。
「そんなに急いでどこに行くの? そんなに急がなくてもいいじゃない。もっとゆっくり行こうよ」
 トルクはケシルの肩を掴んで言った。小走りをしたせいで少し呼吸が荒かった。ケシルは肩の上のトルクの手を取って、どけた。ケシルは何も言わなかった。

 金属加工屋を抜けてしばらく歩くと、両サイドに露店がひしめく『市』に入った。金属加工屋は市の一番端にあったために市らしくなかったが、ここは喧噪が渦巻き、市らしかった。
 果物や野菜をシートに広げている人もいれば、ナイフや銃を地べたに並べ、爆弾を吊している人もいた。何に使うのかよくわからないいびつな形の塊を売っている人もいる。
 トルクにとっては久々の『喧噪』だった。『シティ』で不定期に開かれるフリーマーケットと似たような感じにも見えなくもないが、それらとは決定的に違うところがあった。
 売り手は子供だった。果物を売っているのは髪を左右で二つに束ねた赤い髪の女の子、武器や爆弾を売っているのは半袖に短パンの十歳くらいの男の子だった。いびつな塊を売っているのは、物心が付いていなさそうな小さな子供達三人だった。
道を行く人は多いが、その人達もやはり子供だった。双子の兄弟が一つの同じ大きな鞄を持ってリンゴを袋に入れている。十五歳くらいの女の子が五人くらいの小さな子達に囲まれて仲良く歩いている。
「『シティ』とやらが空の上にあるとしたら、この辺りで帰る方法を探してもしょうがない。もっと都会へ行かないとな。列車に乗るぞ」
 ケシルは振り返らずに言った。ケシルは両サイドの喧噪に目をくれずひたすらにまっすぐ歩いている。
「列車か。そうだよね。どう見たってこの辺りは田舎よね。都会へ行かないと」
 トルクは周りを見回しながら言った。トルクには、少年少女達ばかりが買い物ごっこをしているように見えた。しかし、現実には買い物ごっこなどでは無いことをトルクは知っている。子供達は遊んでいるのではなく、生きるために売り買いをしているという事を考えると、トルクはやるせなさを感じた。
 息を小さく吐いて、首を横に振って前を見る。ケシルは肩の上下動激しくずんずんと進んでいる。
「あ、ところで――」
「なんだ」
 ケシルは振り返らない。トルクはケシルの肩に手を置こうかと考えたが、やめた。
「シュルツはどうだったの? 何が起こったの? しゃがみ込んで何をしていたの?」
 トルクはケシルの背中に向かって言った。ケシルは歩く速度を速めた。トルクはその背中について行った。ケシルは何も言わずに、全く振り返らずに歩き続ける。
 いつのまにか『市』を通り抜けて、草原にやってきていた。湿り気を帯びた風が草原を駆け抜けている。風はトルクの頬を撫でる。空気は透き通っていて、無臭だった。
 ケシルは立ち止まった。そして振り返る。トルクも立ち止まった。ケシルの周りで風が渦巻いていた。
「シュルツは死んでいた。脈がなかった」
 唐突に風が止む。ケシルはトルクを見つめている。ケシルの顔には絶望が見えていた。
「『十八年の一生』にやられたんだ。ちくしょう、あいつ、自分の生まれた日を六ヶ月勘違いしやがって。とんだ別れの挨拶になっちまった……」
 ケシルはしゃがみ込み、拳を地面に叩きつけた。草が地面にめり込む。俯いたままケシルは続ける。
「『十八年の一生』にやられると、眠るように死んでしまう。そのあと、『十八年の一生』は身体を骨の髄まで食べ尽くしてしまう。あとには何も残らない」
 ケシルは立ち上がり、トルクの両肩を掴んだ。トルクは反射的に身をこわばらせた。土と草の匂いが香る。
「何も、何も残らないんだ! そこに人が生きていたという痕跡が何一つ残らない。俺たちは死んだら文字通り消えてしまうんだ。俺はそれが普通だと思っていた。逃れられない運命だと思っていた……」
 ケシルは真剣な目つきでトルクを見つめている。肩を掴むケシルの手に力が入る。
「けれど、トルク、君はずっと生きていられる。『シティ』には『十八年の一生』はない。『シティ』には『天使さま』の技術がある」
 ケシルは顔を近づけた。
「なあ、『シティ』には『十八年の一生』を克服する手段があるんじゃないのか? もしそうなら俺は『シティ』に行きたい」
 そこでケシルは、トルクの肩を強く掴んでいることに気づいたらしい。「ごめん」と言いながら手を離した。
「なあ、あるんだろ? シュルツを見てよく分かった。俺はできることがあるのならすべてをやってから死にたい。可能性にかけたい。シュルツのようには死にたくない」
 風が吹き始めた。ケシルはただトルクを見ている。他には何も見えていないかのようだった。トルクもケシルのことを見た。平凡な、どこにでもいそうな顔。それこそ『シティ』外層部で居酒屋のアルバイトをしていそうな青年。
 しかし、この青年はあと一年でこの世から消えてしまう。この世には十八年間しか生を許されていないからだ。地上に住んでいる全ての人間は十八才の誕生日になると、体内に宿っているウイルス活動を始める。ウイルスは一時間も経たないうちに宿主を殺す。
 それが、『十八年の一生』。
 地球上には、十八才以下の人間は一人もいない。
 トルクはケシルの瞳を見た。アジア系の、ごく普通の黒い瞳。だが、その瞳に映してきたものは、トルクが見てきたものとは全く違う。
 トルクは小さく息を吐く。片手で頭を押さえる。
 彼は、十八才になって死んでしまった友人を数多く見てきている。大人がいないせいで、満足に治療を受けられずに死んでいった友人達をたくさん見てきた。
――私の知らない世界。
 ケシルはその世界を救う方法を『シティ』に求めている。運命に抗う術を見つけたと思って。
 トルクは大きく首を縦に振った。
「大丈夫だよ。『シティ』にさえ行ければ、解決策は見つかるよ」
 トルクは心が痛かった。ケシルに向かって落ち着いた声で言っている間、自分の心は落ち着いていなかった。市長に言ったあのことがあるからだ。
 ケシルはぱっと目を輝かせた。それは子どものようだった。年相応の笑顔だった。ケシルはトルクの手を取り、大きく振った。
「君に会えなかったら、俺は『シティ』の事なんて知らずに死んだだろう。ありがとう」
 トルクは何も言うことができなかった。口が錆びついたかのように動かなかった。
「じゃあ、駅に行こう。あと少し歩けば見えてくるはずだ」
 ケシルはトルクの沈黙を好意的に受け取ったらしく、ゆっくりとした足取りで再び歩き出した。トルクは歩き出す為には意志の力が必要なほど脚が重かった。言うことのできない、共有することのできない心の重みがそのまま脚にかかったかのようだった。
 その場で脚を何度も上下させ、地面を踏みしめる。大きく息を吸って、吐いた。普段通りを心がけ、ゆっくりと歩き始めた。
――言えるわけがない。
 トルクはケシルの背中を見ながら思う。
――太陽のヘリウムフラッシュで、一年後には地球そのものが無くなってしまうかもしれないなんて。『シティ』は全能じゃないなんて。


.
創作時期 July 2001 改稿時期 April 2003

これは工房長co_metのオリジナルです。この作品の無断転載を禁じます。