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蒼天の星

三、十八年の一生




「はあ」
 ケシルは地面に密生する草を蹴り飛ばしながらため息をつく。
 ケシルはトルクと二人で草原を歩いていた。トルクはフード付きの青いコードを来て歩いている。『制服』姿は何か奇妙だ、と言って、ケシルのリュックの中に入っていた防寒具を着ていた。
――俺はなんて事をしてしまったんだ。まさか落ちてきたのが『天使さま』だったなんて。
「ああっ」
 ケシルは歩きながら頭をかきむしる。『天使さま』というのは空の高いところに住んでいて、杖を持っていて、十八年以上生きられる。それは都市伝説のように四才の子どもですら知っていることだった。
 顔を上げて、トルクを見た。トルクは鼻歌を歌いながら両手両足を軽やかに動かして歩いていた。
――何故俺は、あの棒を見て『天使さま』だと思わなかったんだ?
 下を向き、真上から草を踏みしめるようにして歩いた。
二百年前の『大厄災』は、地上の民が『天使さま』に反逆したから起こされたと言われている。地上に幸をもたらすために降りた一人の『天使さま』に、無知な若者達が集団で暴行を加え、地面に埋めた。それが多くの『天使さま』の怒りを買い、地上はあらゆる災厄に見舞われることになった、という話だった。
――ということは、俺のせいで、俺の行動が反逆行為と見なされて、もしかして再び『大厄災』が?
「どうしたの? 頭でも痛いの?」
 トルクがケシルの顔をしたからのぞき込んだ。ケシルが今まで見たことのない程美しい青い瞳が、ケシルの目と鼻の先に現れた。ケシルは弾けるように顔を上げて、首を左右に振る。
「いえ、べ、別に頭など痛くありません」
 トルクは立ち止まり、眉をつり上げてケシルを睨んだ。
「さっきから変だ。話を聞かせてから一度も話しかけてくれないし、こっちが話しかけたら敬語を使って答えるし。どうしたの?」
 青い髪は肩の付近で内側にカールしている。コートも青いために殆ど青一色だった。首からかけられた十字架がトルクの身体の動きに合わせて胸の上で踊る。
 どこにでもいそうな少女にしか見えない、とケシルは思った。だが、その口から話された内容は、この辺に住んでいる人間が想像すらできないほど突拍子もなく、スケールが大きかった。『天使さま』だという事を確かめる手段はケシルには何もなかった。『天使さま』というのは伝説上の存在で、実在のものだとは全く考えていなかったからだ。
 ケシルは混乱し、自分の額を手のひらで叩いた。
――『天使さま』だと考えると、話の筋が通るからわけがわからない。
 トルクは手を伸ばせば容易に届く位近くに立っていた。ケシルは横を向いた。地平線よりも手前にぼんやりとした白いものが見えた。それは市だった。歩いて十分ほどだろうとケシルは推測した。
――市に着く前に、俺はこの少女に対する態度を決めておかなければならないな。
 ケシルは軽く咳払いする。トルクがきょとんとしてケシルを見た。ケシルは真っ直ぐにトルクを見た。
「あの、『十八年の一生』って、知ってますよね?」
 ケシルはなるべく不自然にならないように聞いた。トルクは人差し指をあごに当て頭を傾ける。
「『十八年の一生』? 聞いたこと無いよ。って、また敬語使ってるし」
 トルクは軽く答えた。
「『聞いたこと無い』? いや、絶対何処かで聞いたことがあるはずです」
 絶対、という言葉を強調してケシルは言った。地上に住む者なら誰も逃れられない『十八年の一生』をもし知らないのなら、目の前にいる少女が本当に『天使さま』である可能性がぐっと高くなる。ただ忘れているだけなら、この少女は虚言癖があるどこにでもいる少女ということになる。
 ケシルは固唾を呑んでトルクの答えを待った。
「聞いたこと無いよ。『シティ』のデータベースにアクセスできるのなら調べられるけど、あいにく今はオルマティロッドが手元にないからどうしようもできない」
 ケシルはトルクの言っていることの大半が理解できなかった。ただ、『聞いたこと無い』という事だけははっきりと理解した。
「で、どういう意味なの?」
 トルクは手で髪を撫でつけながら聞いた。
――訳の分からないことを言っているのが最大の証拠じゃないのか、俺。
 もし『天使さま』だとすれば、優しくしていれば何かいいことが起こるかもしれない。もし『天使さま』じゃなかったとしても、自分の身すら守れないこの少女から何か損害を受けることはない。
――『天使さま』だとしたら、もしかしたら『十八年の一生』から俺たちを救ってくれるかもしれない。
 ケシルは大きく頷いてから歩き始めた。トルクに対して微笑みかける。
「今のは気にしないでください」
 そう言いながらケシルは進行方向を指さした。
「ほら、もうそろそろ着きますよ、『天使さま』。緑の草原に切れ目が見えてきたでしょう。あの辺りから、白いコンクリートの上に立てられた市の建物が見えてきます」
 ケシルは後ろを振り返った。トルクは立ち止まったまま訝しげにケシルを見ていた。
「ほらほら、行きましょう?」
 ケシルはぎこちなく笑った。

 トルクはケシルの言った言葉を見逃さなかった。
 ケシルの指さした先で草原は途切れ、白い地面があるのが見える。ぼんやりとした白い景色の中には、様々な色のテントのような物が見える。だが、そんなことはトルクにはどうでも良かった。
 まだトルクはケシルにヘリウムフラッシュの事を言っていなかった。何も知らない地上の人間に喋ったところでどうなる問題でもないからだ。だから、それが態度の変化の原因とは考えられなかった。
――『天使さま』って、何?
 トルクの名を呼ぶ代わりに、ケシルが使った『天使さま』という言葉。その言葉の響きには畏怖の感情が含まれているような感じがした。トルクは『天使さま』という言葉の意味を知らなかった。杖さえあればいいのに、とトルクは思った。杖があれば分からないことは瞬時に調べられるからだ。
 天使というものはトルクも知っていた。どこかの世界宗教の教典に載っている神の手伝いをする存在だ。天の使いと書くのだから、それは確かだとトルクは思った。
 トルクは足を一歩踏み出し、先を歩こうとするケシルの肩を掴んだ。振り返ったケシルは顔を引きつらせている。
「何するんですか、『天使さま』」
 声をやや裏返してケシルはトルクの手を振り払った。その表情には、一時間前に初めて話した時のどこか自信に満ちた表情の面影は、かけら一つも残っていなかった。目を見開いていた。
 今の彼の表情に表れているのは、間違いなく『畏怖と恐怖』だった。トルクは絵画でその表情を見たことがあった。それはどこかの宗教画だった。神の生まれ変わり、神の使いが地上に降り立ったときに、地上の民が作る表情だった。
 トルクはもう一度肩を掴んだ。
「私の事、勘違いしてない?」
「別に、勘違いなどしていません、『天使さま』」
「その、『天使さま』って何?」
 トルクはあきれ顔で言ったが、ケシルは相変わらず真面目な表情だった。
「『天使さま』は『天使さま』です」
ケシルは自分の言葉を微塵も疑っていないかのように、さらりと言う。トルクは大きく首を振った。
「休憩しよ」
 トルクは歩くのをやめ、その場に腰を下ろした。ケシルはトルクが座ってから腰を下ろした。
 地面は陽の光でほどよく暖まり、草にはすでに朝露はなかった。長時間座っていても大丈夫だとトルクは思った。遠くに見える市の喧噪はここまではまだ届いていない。思い出したように鳴く虫の音と、ゆっくりとそよぐ風の音だけがあった。
「もうすぐなのに、なぜここで休憩するのですか?」ケシルは足と手を伸ばしながら言う。
「市に行く前に、お互いが確認しておかないといけないことがあると思う」
 ケシルはきょとんとしてトルクを見ていた。
「私とあなたの育った環境があまりにも違うらしくて、同じ言葉を喋っていても何か誤解が生まれている気がする。あなたが誤解しているような気がする」
 トルクは足を伸ばし、つま先に手を触れながら言った。
「聞きたいことは遠慮無く聞いていいよ。こっちも遠慮無く聞くから。それでいい? その時、敬語は使わないこと。堅苦しいから」
「はい」
 ケシルの様子はまるで従順な子どものようだ、とトルクは思った。ついさっきナイフを突きつけた人物とはとても思えない。そこまでの態度変化の原因を、トルクは聞く必要があった。
「あのさ……」
 ケシルがゆっくりと口を開いた。


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創作時期 July 2001 改稿時期 April 2003

これは工房長co_metのオリジナルです。この作品の無断転載を禁じます。


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