13
注、これは2000年7月に書かれたものです。

ゆとり

.
「勝彦、大丈夫かしらね」
 家内が居間でテレビを見ながら言った。私は新型ゲーム機で遊んでいた。今日に出たばかりの最新型だ。私は、切りのいいところでゲームを中断し、居間に向かい、家内の隣のソファに腰を下ろした。
「たぶん、大丈夫だろう。少子化で入りやすくなっているし、俺たちの時代より問題が簡単になっているから」
 家内は、テレビを消し、書棚から勝彦の写真アルバムをとってきた。それを開き、私に見せた。家内は楽しそうだ。
「生まれつき言葉がしゃべれないから、高校になんて入れないんじゃないかと思ってた」
 家内が、写真の一枚を指をさしながら言った。写真の中で、私たち夫婦と、真ん中に勝彦が精一杯の笑顔を浮かべていた。
 勝彦はしゃべれない。遺伝子的に喋ることができないのだ。しかし、私たちの話している言葉は理解できる。私たちは五年前に、勝彦を養子として迎え入れた。彼はしゃべれなかったが、筆談はできた。最初私たちに慣れてくれなかったが、次第に私たちに打ち解けはじめ、私たちに感受性の豊かな絵を描いて見せてくれた。
 彼を小学校にも入れた。勝彦は学校での成績はできる方ではなかった。言葉がしゃべれない分、知能の発達が少し遅かったからだ。
 しかし、文部科学省のゆとりの教育のおかげで、勝彦は、もう死語になりつつあるいわゆる「落ちこぼれ」にはならなかった。
 勝彦は、中学校にも無事登校できた。
 体格が他の人と違っていたので、本人が希望していたが、運動系の部活に入れさせなかった。勝彦は私の決定に、随分と不満があったらしく、二週間ほど、私に顔をあわせなかった。結局、美術部に入り、毎日が楽しかったらしい。私の決定は正しかったはずだ。
 勝彦は、今、高校入試の会場にいる。
 言葉がしゃべれず、体格も人とずいぶん違うので、高校入学は無理なのではないかと、さんざん人に言われたが、勝彦がどうしても行きたいと意志表示をするので、私は彼に挑戦権を与えた。彼は彼なりに猛勉強した。
 文部科学省の「ゆとり教育」のおかげで、本来落ちこぼれるような子供も、落ちこぼれずに他の子供と同じように義務教育を終えた。
中学校で学習する内容が簡単になったために、高校入試は、私たちの時代と比べて、とてつもなく簡単になった。話によると、私の親の時代は、私たちの時代よりもさらに難しかったというから、義務教育で学習する内容は、二次関数的に簡単になっているらしい。
 テレビを再びつけると、ニュースで勝彦の受けた高校の様子が報じられていた。勝彦は人より人一倍体が小さいので、教室で目立っていた。勝彦に、これといった不安はないらしい。楽しそうな顔をしている。
「よかったわ。あの子は堂々としていて、少しも怖じ気付いてなんかいない。受からなかったとしても、この経験は良い経験になりそうね」
 一週間が過ぎた。今日は勝彦の合否の判定の知らせが届く日だ。勝彦は朝からずっと郵便ポストの前で、知らせを待っている。
「受かったかしら」
 家内が窓から見える勝彦を眺めながら言った。私はその問いには答えず、じっと手紙が届くのを待っていた。
 約一時間が過ぎた。
「自己採点では、結構、良い点をとって合格してるんじゃないかって、意思表示をしていたわ」
「自己採点が当たるとは限らないけど、合格していればいいな」
 家の前に、赤い荷台をつけたオートバイが止まった。郵便局だ。勝彦は直接手紙を受け取った。郵便局員が走り去る中、勝彦は不器用な手で封筒を開いた。勝彦の顔から笑みがこぼれる。すぐにこちらへ走ってきた。
「受かったみたいね」
「そうだな」
 私は勝彦から封筒を受け取った。封筒の中には、合格通知と入学手続きの書類が入っていた。
「よかったな、勝彦」
「キーキー。きゃっきゃっ」
 勝彦は人間ではない。チンパンジーだ。遺伝子操作で賢くなったチンパンジーだ。私たちは人間の子供よりチンパンジーの子供の方が可愛いと思ったのだ。
 勝彦でも、人間の高校に入れる。
 勝彦の笑顔は天使のようだ。
これもすべて「ゆとり教育」のおかげだ。

.
創作日 7/15/2000
これは工房長co_metのオリジナルです。この作品の無断転載を禁じます。