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自殺行為



 柱時計の針を私は見つめていた。
 ひっかかるように秒針が動いている。その音だけが山小屋の中に響いていた。
 時折、長針が勢いよく動く。
 十一時五十七分。
 彼が外に出て行ってから、もう四時間が経っていた。
 私は山小屋を包む緩やかな振動の中で、一人膝を抱えて入り口を見つめた。
 吹雪が木製のドアを少し押し開けるたびに、私は身体を震わせた。小屋の中に入り込んできた雪はくるくると舞い、床に落ちる前に溶けている。
 私たちはなぜ吹雪の日にスキー場に来てしまったのだろう。私たちはなぜコースではないところへ迷い込んでしまったのだろう。私はなぜ誰のかもわからない山小屋で一人震えているのだろう?
 私は自分の手に視線を移す。手の中のケータイには『圏外』の文字が小さく表示されていた。
「二十四時にまでは戻るから。絶対に見つけてみせる」と言い、彼はドアを開けて出て行った。
 私は彼と離れたくはなかった。二人で遭難したのだから、最後まで一緒にいたかった。二人で小さく丸まって、救助を待ち続けたかった。彼だってそれを望んでいると思っていた。素人が冬の山の中を歩き回っても、里に下りることなんて無理に決まっているのだから。
 私は顔を伏せ耳をふさぐ。耳に押し当てられたケータイは、寒さで耳を痺れさせる。
 彼は情けない人だった。いつも落ち着きが無くて、天然ぼけだった。大学の入学式で人の波に流されてはぐれたり、最初のデートの時、ウエイトレスが手渡したコーヒーを受け取れなくて私の服を台無しにしたくらいだ。
 私は顔を伏せたまま小さく笑う。笑い声は膝と膝の間にこもって消えていく。
 彼は目を見開いて手をせわしなく動かして私に謝った。その姿は滑稽だったけれども、とても真剣に見えた。彼はその後真っ白なワンピースを買ってくれた。ワンピースを着るような歳じゃない、と言った私に彼は、「すごく似合うから。美しいから。コーヒーをこぼして汚したりはしないから」と苦笑いした。その顔が素敵だった。
 私は顔を上げる。柱時計は十一時五十九分を指している。目をぎゅっとつぶって、また開く。それでもやはり十一時五十九分だった。
 いつも私が主導権を握っていた。彼はいつもおどおどしていて、頼りなかった。でも頼りないなりにも一生懸命な所が好きだった。
 山小屋に二人で閉じこめられたとき、彼は慌てていた。「救助が来るまでじっとしていましょう」と私が言うと、「いや、ダメだ。もう時間がない。僕が悪いんだ。何とかしないと。こんなときに彼女の一人も守れないなんて最低だ……」と彼は頭を抱えた。私は彼の頭を撫でて慰めながら、内心では二人きりになれた事をうれしがっていた。ここには私たちのことをからかう人間は誰もいないのだから。
 けれど、そんな考えをしていたからこんな事態になったのかもしれない。
 私は壁に立てかけられた二組のスキーの板を見る。私のショートスキーと、彼の長いスキー板が仲良く並んでいる。両方とも、床に水を垂らし続けている。
 彼は必要以上に自分を責めて、「僕のせいだ。見つかるわけがない」と何度も言った。私が「こっちは新雪みたいだよ」と言ってコース外に連れ出してしまったのに。
 十二時を告げる音が鳴り響いた。長針と短針は十二の位置でぴったりと重なった。
 私は頭を抱えた。
 その時、ドアが開く音がした。冷たい風が私の頬を吹き付ける。
「ただいま」
 顔を上げる。そして、ドアを見る。そこには彼が立っていた。全身を雪まみれにして、ふらふらと歩いてくる。私は立ち上がって彼の元へと走った。彼の大きな体に抱きつく。スキーウエア越しでも、彼の暖かさが伝わってくるような気がした。
「ごめん。吹雪がすごくて」彼は困ったような顔で言う。
「いいよ。無事にここに戻って来られたんだから。良かった……」
 急に彼の重みが私にのしかかってきた。目をつぶっている。彼は意識を失っていた。私は彼の身体を支えきれなくて後ろ向きに倒れてしまった。背中を強打する。
 私はゆっくりと身体を起こし、彼の身体も起こした。しゃがみ込んで二人で向かい合う状態になる。
 彼はふっと目を開けた。そして私に向かって手を差し出した。
「本当にごめん。もう二十四時になってしまった……」彼はぼんやりとした口調で言う。
 彼の手のひらの上には、指輪があった。
 小さな英語が刻まれている銀色の円形のリング。私は彼の顔を見た。彼は申し訳なさそうに私を見ている。
「もうすぎてしまったけど、これ、誕生日プレゼント。吹雪の中だったけど、なんとか気合いで見つけ出したよ」
「助けを呼びに言ったんじゃなかったの?」
 彼はゆっくりと微笑んだ。
「こんなところで、里に下りようとするなんて、自殺行為だよ……。僕はただ落としてしまった指輪を探したかっただけ……」
 彼の身体がぐらりと傾く。私を見たまま、横に倒れた。
 私はただ呆然と、彼の見開かれたままのうつろな瞳を眺めていた。


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創作日 4/19/2003
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