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――クライアントソフト『COFFEE』起動。
サーバーに接続中……。接続完了。
サーバーからの応答を待っています……。
『はは、確かにそうかもしれないです(笑)』
そう入力して、僕は改行キーを押した。自分の入力した文字列がチャットウィンドウに表示される。僕はただ待つ。
数秒後に、『君は否定してくれると信じていたんだけどな』という文字列が僕の入力した文字列の下に表示された。自分の口元がゆるむのを僕は感じた。
文字によるチャット。
チャットとは、ネットワークを利用した即時通信のことだ。最近は転送速度が非常に速く、どんなデータでもほとんど一瞬で送れる為、普通チャットと言えば映像音声付きのビデオチャットのことを指す。
けれど、僕は昔ながらの文字チャットが好きだ。
僕は彼女の容姿も住んでいる場所も年齢も知らない。別にそれらがわからないからと言って、困ることなど何もない。顔や表情が見えないからこそ伝えられることだってある。僕はそう思っている。
入力欄に文字を打ち、確定。僕は彼女からの文章を今か今かと待ち受ける。
その繰り返し。
もう五時間以上僕たちはチャットをしている。日付は二時間ほど前に変わってしまっていた。チャットは終わらせようと思えばいつだって終わらせられる。彼女が接続を切らないということは、僕は彼女にとってじゃまな存在ではない、ということになる。
『僕の愚痴なんて聞いても、眠いだけですか?(笑)』
『いや、眠くないよ。目が覚めてきたくらい。もっと話してよ』
いつの間にか、僕は彼女に悩みを話している。彼女の会話は機知に富み、話題は多岐に渡り、飽きさせない。僕はついなんでも話してしまう。
『けれど、新しい生活、新しい人間関係があったとしても、やはり僕は自分を変えられないんです。』
『本当にそう? 君を全く知らない場所で生活を新しくスタートしても?』
『はい。大学に入ったとき、僕は大学生らしい大学生をしようと思ったんです』『ふむふむ』『髪の毛を茶色に染めて身なりも学生らしくして、運動系サークルで弾けて、樋口さんという彼女もできました』
『よかったじゃない。どこで君は悩んでるの?(笑)』
『ていうのは冗談だよ、モチロン。君は自分は変わっていないというのを痛感させられた出来事に遭遇したわけだ。そうでしょ?』
彼女は僕の返事を待たずに喋った。前の一文が冗談だということがはっきりとわかるように。
ゆっくりと僕は文字を打っていく。タイピングの速度はチャットを始めてから速くなったけれど、それでも考える速度よりは速くならないから。
『そうなんです。僕は変われなかった。一緒にごはんを食べている時、貧乏揺すりをしている僕の足を、怪訝な目つきで樋口さんは眺めていました。僕はいつの間にか以前の自分に戻っていたんです。樋口さんは一言「貧乏揺すりをするようには見えないのに」と言いました』
『その後どうなったの?』
『別れました。「私たち、合わないみたい」と言われました』
僕は画面を見つめていた。彼女の文字列が空白のウィンドウに現れるのをただ待った。
一分ほど経った頃。僕は待ちきれずに文章を打った。書いては消し、書いては消し、時間を稼いだ。僕が改行キーを押す前に彼女が書き込んでくれることを願った。
けれども、表示されるべき場所は空白のままで、僕は自分の文章を打ち終わってしまった。
『僕が生きてきた時間が僕を築いています。それは容易には崩せない。いや、崩す事なんてできやしないんだと、僕は思います。これからの長い人生の中で、僕はたった一つの僕しか築けない。どんなに努力しても、僕自身が作った僕という砦を崩すことができない。そう思いませんか?』
改行キーを押した。
『面白いことを言うのね……』僕が文章を入力した数秒後に、彼女はそう言った。
『面白いですか? 面白くないですよ。何が面白いんですか?』
僕は夢中でキーを叩き続け、改行キーをまた押した。何が面白いのか、僕にはわからなかった。今まで一度も、彼女が僕のことを馬鹿にするように『面白い』と言ったことはない。
――真剣に悩みをうち明けたときは、いつも真剣に聞いてくれていたのに。
『あ、ごめん。明日朝早く起きなきゃいけないの、忘れてたわ。じゃあ、またね』
その数秒後、画面にはただ『相手は接続を切断しました』という文章が表示されていた。
目の前がブラックアウトした。
彼女はパソコンの前で背伸びをする。
チャットのログ(記録)を保存し、エディターを立ち上げた。プログラムのソースコードを見る為だった。
「最近の人工知能って、すごいわね。もう自我って言えるんじゃないの、この反応は」
彼女はソースコードの『性格特性設定』の場所を探し出す。
「私が設定しているのだから、君が自分で変われるわけないじゃない」
彼女は『身体的特性』の項目の『貧乏揺すり』を削除した。
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