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雨の中で

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 めがねからコンタクトにかえてから、僕は雨を好きになった。
 雨はすべてを覆い、流そうとする。めがねをかけた僕の視界も流そうとする。目の前の世界が雨によって崩れていくような感覚が、僕の心に入り込もうとしていた。
 だから僕は雨が嫌いだった。
 めがねからコンタクトにかえた時、看護婦が僕のかわりにコンタクトを目に入れてくれた時、僕は目の異物感が気になるよりも、目の前に広がる世界の巨大さに心を打たれた。2つの凹レンズというものを通して僕が今まで見ていた世界は、きわめて限定的であったことを思い知らされた。
 コンタクトを通してみる世界。視界が限定されない世界。
 もはや、僕は雨による世界の侵食を受けることはなくなった。
 だから僕は雨を好きになった。
 雨はまわりの世界を流すのではなく、僕についた汚れを流していくのだと思うようになった。
 そしていつからか、僕は雨の日は傘をささずに出歩くようになった。
 どしゃ降りの中でさえ、僕は雨のなすがままでいた。
 まわりの人達は、僕のことを奇異の目で見ていた。
 僕は自分を変な少年とみなされることに何の抵抗もなかった。
 雨の中で、雨のみが、僕と関係していた。
 雨の中、地に落ちた雨粒は、黒い川となって、アスファルトを流れている。
 僕は3月の冷たい雨の中で、奪われる体温を気にもとめずにただ立ちつくしていた。
 自分が日に日に汚れていくように感じ、僕はただその汚れを流そうとしていただけだった。
 雨のみが汚れた世界と僕を切り離してくれるように思っていた。
 僕は、うっすらとかかるもやの中に、同じように雨に濡れたままになっている少年を発見した。
 彼は、注意して見ないとそのまま雨に溶け込んでしまいそうだった。
 彼の輪郭は雨と入り混じり、おぼろげだった。
「君、身体が溶けているよ」
 僕は言った。
「僕はもう帰る事ができない。僕はこの世界にとって有害な存在であり、この世界は僕にとって有害なもの。僕は『汚れ』なんだ」
 彼の声は雨の中でも良く通った。彼の姿はシルエットのようで、表情がまったく読めなかった。
「君の言っている意味が、わからないよ」
 僕は言った。
「君に僕の気持ちがわかるはずがない。自分の世界が崩れていくのを、ただ見てることしかできなくて、助けることもできなくて、逃げることしかできなかった僕の気持ちがわかるはずがない」
「だから雨の中にいるんだね」
 僕は言った。そして続けた。
「雨は汚れを流してくれる。だから自分も流してくれると思ったんだね」
 シルエットがかすか動いたように見えた。
 僕は彼の気持ちがうっすらとわかるような気がしていた。以前の僕と彼が似ているような気がしていた。
「君、めがねをしているんじゃないかな。ここからじゃ、君の顔は良く見えないけれど、僕は君がめがねをかけている気がする」
「かけていたとしたら?」
 雨がどしゃ降りからだんだんと弱まってきていた。
「僕は君を救える」
 僕は彼の方に向かって、手を伸ばした。雨のせいで彼の顔はやはり見えなかった。
「どうやって?」
 彼が一歩近づいたような気がした。
「コンタクトしよう。僕と君とで。君はめがねを取るべきなんだ」
「僕を何か知っていて言っているのか?」
「知らない」
 雨が止みつつあった。もやも消えかけていた。
「コンタクトすれば、きっとこの世界が気に入ると思うよ。君の素性とか出身とか、そんなものはまったく関係がないんだ」
「僕は君を傷つけるかもしれない」
 僕は彼の意外な言葉に一瞬戸惑った。
だが、それはただ一瞬のことだった。
「君は僕を傷つけない。君は雨が好きになるのだから。憂鬱なことがなくなるのだから」
 君は僕のようになるのだから。
「新しい世界と接触できるんだ」
「そうかもしれないな」
 雨が止み、彼の異形な姿が見えた。
僕は彼を信じている。
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創作日 6/20/2001
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