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ファンタグレープ



 ぶかぶかの野球帽をかぶった少女が、バッドを大事そうに抱えて走り去っていった。
 俺は額の汗を拭いながら、自動販売機のパネルに携帯電話を近づける。一つ目の電子音のあとボタンを押すと、二つ目の電子音のあとに缶ジュースが転がってきた。
 ファンタグレープのプルを引く。指先にしぶきがかかった。
 ファンタオレンジは病院の味がすると思う。昔子供の頃飲んだ、甘すぎるシロップの味だ。高校の頃飲んで以来一度も飲んでいない。俺はファンタグレープの方が好きだ。
 喉を潤しながら、腰をかけられそうな日陰を探す。小さな路地は車一台がやっと通れるほどの狭さで、街路樹は無い。手近な日陰は電柱の側だけで、それも真昼の炎天下をしのげる大きさではない。ないよりはあるほうがマシなので、俺は電柱の日陰側にもたれかかった。
 平日の真っ昼間に俺は何をしているのだろう。
 色褪せたジーパンによれよれのTシャツ。服装が俺自身を的確に表している。日差しが強いのに帽子をかぶっていないのは、つい先日やめたモスバーガーの帽子しか持っていないからだ。
 飲みながらでも汗が出てくる。道路の揺らぎは俺自身が揺れているからか。
 空いている方の手で、財布を取り出す。分厚くなっているが、それは札があるからじゃない。親指と人差し指等を使って、札入れの中に入っている写真を取り出そうとした。しかし、さすがに片手では難しい。しゃがみ込み飲みきったファンタを道路に置いて、両手を使って写真を数枚取り出した。
 自分とは異なる肌の色をした少女が、写真の中で笑っている。
 この子の笑みは、俺に向けられている。来年学校へ行けることを喜んでいるのだ。新しい鉛筆と新しいノートを両手に持って白い歯を見せて笑う少女の顔はまぶしい。その顔を見ると、俺もつられて微笑んでしまう。笑うとえくぼができるのか、それとも笑わなくてもあるのか、俺にはわからない。えくぼには小さめのほくろがある。
 どの写真でも、彼女は生き生きとしていた。俺以上に将来に不安があるはずなのに、毎日を一生懸命生きている。恵まれない環境の中でも生き生きとすることができるということを、この少女は教えてくれる。
 暑さを忘れて眺めているうちに、今月分を振り込んでいないことに気づいた。俺が振り込まなければ、彼女の笑顔が曇ってしまう。
 この子に実際に会った事は無い。彼女は俺が一生行く事はないだろう場所に住んでいるからだ。物価の違いを利用して、俺はこの子に仕送りを送る。俺にとっては一日分の稼ぎにもならない額だが、この子にとっては大金になる。その金は、彼女がより良い生活をする為に使われる。養育費とまでは行かないが、俺の金は彼女が勉強するための力になる。
 フォスターペアレント募集の告知を見たのは、今日と同じくらい暑い日だった。まだ何も知らない新入社員だった俺は、着慣れないスーツの中で汗をかきながらファンタグレープを飲んでいたと思う。電柱には、暑さでしおれたかのようなポスターが貼られていた。安定した給料がもらえる身分だったからこそ、俺はフォスターペアレントに応募したんだ。
 足下の缶を拾う。電柱から離れて、ゴミ箱を探す。だが、どこにもない。
 さて、これからどこへ行こうか。
 この暑さから逃れられるところならどこでもいいような気がした。アルバイト情報誌を読まないとならないので、コンビニが一番いいだろう。
 コンビニがある方向を考えてみる。漠然としか方向はわからないが、今の道をどっちに行くかぐらいの判断はついた。汗をかいたアルミ缶は、片手で簡単に握りつぶせるような気がする。
 空を見上げる。光に向かって缶を突き出し、太陽を隠した。無果汁という文字が俺の視線の先にある。太陽自体を隠しても空は眩しく、無果汁の文字には後光が射していた。
 視界の隅に、動く影をとらえた。
 俺はすぐにその方向へと顔を動かす。
 一組の親子がいた。
 最初俺は、肌の色と表情しか認識できなかった。俺とは異なる褐色の肌の親子。母親は気まずそうに笑っていて、子供は満面の笑みを浮かべている。
 白いものが、少女の抱える腕の中にあった。俺は懸命にピントを合わせようとする。なかなか合わない。少女の顔にばかり注意がいく。少女の笑顔へと。
 俺の足に何かが当たった。握っていた缶が地面を転がっている。その缶は親子の方へと転がっていく。俺はただ黙って見ている事しかできなかった。
 少女が腰を屈め缶を拾う。笑顔を浮かべ、俺に向かって走り出してきた。あるはずのない、えくぼのほくろを伴いながら。
 女の子が、写真とまったく同じ顔で、俺に向かって笑いかけた。
「イツモアリガトウ」
 缶を差し出しながら少女が言う。無果汁が俺に突き出されている。遠くで母親が目を背けている。
 缶を引ったくり、走って逃げた。
 俺は今月の振り込みをするだろう。


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創作日 10/3/2004
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