神々の狂宴

第1話

『遭遇』

 ここから見た太陽は、ひときわ強く輝く星にすぎない。
 冥王星よりも遠く、短周期彗星の故郷、カイパーベルト。
 直径五〇〇mの小惑星の内部をくり抜き、回転に耐えられるように各部を補強し、六分の一G人工重力をつくり出している。
 火星連邦に所属する天文研究所。構成員は全部で三名。火星政府公認の研究所だ。
 冥王星から二〇AU(地球、太陽間の二〇倍の距離)も遠く、現在主流の核融合船であれば三ヶ月、十年前に利用法が確立された他宇宙融合推進でさえ、一週間をかけなければ冥王星にすら到達できない距離。地球まで行こうものなら、核融合船の退屈な船旅を九ヶ月も耐えなければならない。
 光でさえ、太陽からは八時間もかかるのだ。リアルタイムの交信は望めない。
 ここにいれば、太陽の重力井戸の底の方で争われる、土星圏、木星圏、火星、月、地球の醜い権力抗争に煩わされる事はない。
 研究主任の牧野は、太陽系外に向けられた極で、星を眺めていた。ゆっくりと回転する景色。今はちょうど三時間の休憩時間の最中だった。
 この星々を見て、牧野はいつも思う。
―人間なんて、この星々とくらべたら、なんとちっぽけな事か。
 牧野だからこそ、このような辺境の地にいるからこそ言える言葉。人類は十年前、自分達の宇宙と違う宇宙をつなぐ穴を発見した。一方的に他宇宙からこの宇宙に流れ込むエネルギーは、人類のエネルギー問題に終止符を打った。その穴の名前はマキノゲート。若い頃の牧野が発見したものだ。
 人類のエネルギー解放の救世主となった牧野は、毎日のように張り込んでいる激烈なマスコミ攻勢にうんざりし、人とつきあうのに疲れ、生涯、人とのかかわりを捨て、星々と関わるために、カイパーベルトの天文研究所に籍をおいた。妻と一人息子は火星に残しておいた。自分の都合で、子供の教育を妨げるわけにはいかないからだ。
 いつものようにしばらく星を眺めていると、
 突如、視界から星が消えた。黒いカーテンが全天にかけられたよう。
 星が何かに隠されて見えなくなる事はない。カイパーベルトよりも外側にはオールトの雲しかない。オールトの雲はあまりにも遠いので、視界を遮る要素ではない。
 窓に手をつき、目をこらして見るが、星はどこにも見当たらない。自分が見たのが幻覚かどうか調べるため、牧野が研究室へ向かおうとした時、研究助手の田中さやかが、息をあがらせ、白衣を乱して入ってきた。
「君も見たのかね」
「主任は目撃したのですか?」
「目撃などいつでもできるではないか。今でも窓を見れば、星が見えなくなっているのがわかる」
 田中は、乱れた白衣をそのままにしたまま、大きくかぶりを振った。
「そんなことではありません!副主任の福田が、研究室で死んでいるんです!」
 田中は目に涙を浮かべながら、しゃっくりをあげつつ喋った。
「私が…ヒック、差し入れをあげようと研究室のドアを開けたら…」
 田中は冗談を言うような人物ではない。若くて研究熱心で優秀な助手だ。
「とりあえず。その乱れている白衣をなおせ。私が見てくるから、君は気持ちを落ち着けてから来るんだ。何故、福田が死んでいるのか確かめてくるから」
「…ひっく、やめて方が、いいです。ひっく、、福田君は、もう、福田君じゃないです」
「だから、落ち着け。私に任せるんだ」

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 研究室は主に、巨大望遠鏡で得られた観測結果を元にして、理論構築をすることに使われている。福田は巨大なメインモニターの前に座っていた。モニターには多数の数式が画面をうめるように表示されている。
 牧野は言葉を失った。
 モニターはところどころ汚れている。
 福田の血だ。福田の腰から上は、腰の上になかった。床は一面、血の海。調査書の類いが真っ赤に染めあげられていた。上半身は、ドアと反対側の真っ白い壁の方にゴミのように落ちていて、壁には水風船を叩き付けたように、血が飛び散っている。コンソールに置かれたままの、ちぎれた片腕が、それが突然起きた事を示している。
 幸いな事に、福田の頭部はどこにも見つからなかった。
 事故ではない。このような状況が起きる事故などは考えられない。何かに引きちぎられたようにも見える。半径一AU以内には、牧野と田中の二人しかいなかった。
―一体、何が、どうやって?
 福田をこのままにしておくわけにはいかない。牧野は口を押さえながら、中央の椅子まで歩き、全面洗浄をコンピュータに命じた。五分後には、この部屋は洗浄液でみたされ、福田はこの小惑星のどこかに流されて埋められるだろう。仕方のない事だった。ここで人の死ぬ可能性はほとんどない。今まで一度も人が死んだ事はない。次の輸送船がくるまでは、福田を納めておく場所はないのだ。
 振り返ってドアの方を見ると、田中が立っていた。白衣は乱れたままだった。
「田中君、ここは五分後に閉鎖される。とりあえずここは出よう」
「牧野主任…」
 田中は、ほとんど聞こえない声で言った。顔が青く、牧野をすがるような目つきをしている。両手は震えていた。
「ここにいると、ますます気分が悪くなるぞ。さあ、戻ろう」
 田中は一歩も動かない。牧野は田中の方へ近寄った。床の血が粘りをまして、牧野の足取りを重くしていた。
「なぜ、なぜ福田君がこんな事に…。主任は冷静ですね。私、恐いです」
「通信室に行って、このことを政府に連絡しよう。私だって恐いんだ。調査隊を派遣してもらおう」
「そうですね。通信しツに…」
 牧野が田中の肩に触れようとした時、彼女は急に大きく咳き込み、吐血した。乾きかけた福田の血の上に、おびただしい鮮血がふりまかれた。牧野の白衣は赤いまだら模様が描かれた。
 田中は口を手で押さえ、牧野の肩にもたれ掛かった。牧野の肩が血に染まる。
「わたし、どうしたんでしょう?血なんか吐いちゃって…。こんなこと、生まれてはじめて」
「おい。大丈夫か?」
 我ながら当たり前すぎる事を聞いてしまった。大丈夫じゃない事はわかりきっている。田中が咳き込むたたびに、白衣が赤黒く変色する。救急キットは確か、通信室においてあるはずだ。
「牧野主任…。何かのウイルスかも知れません。すぐに、すぐにわたしから、離れて下さいっ」
 田中は牧野の肩をつかんで突き飛ばした。意外に強い力で、牧野は中央にいる福田の胴体にぶつかりそうになった。
 田中は反作用で入り口にぶつかっていた。牧野の肩には、まだ田中の手の感触があった。肩にはまだ、田中の手がくっついていた。
 ちぎれた田中の両手。肘のあたりから。田中は目を見開き、遠くにある自分の両手を眺めながら、ゆっくりと前に倒れた。
 六分の一Gで、ゆっくりと床に倒れ、長い茶色の髪が、自らの血で赤く染まりはじめている。もう、息はしていなかった。
―一体、何が、何が起こっているんだ?
 牧野は研究室を飛び出し、回転軸付近の通信室に向かった。何年も生活しているのに、軸に近付くにつれて減る人工重力は、なかなか、通信室へ行かせてくれない。今まで、この環境で急ぐ事は何もなかったからだ。
 通信コンソールの前に座り、送信フォームを呼び出す。映像を送るにしろ、音声だけにしろ、火星政府のオリンポス通信センターに信号が届くのは約八時間、指示が来るのはさらに八時間かかる。一刻も早く、この天文研究所から逃げ出したかっった。ここにある宇宙船は、小惑星表面を点検する用途のものだから、惑星間を移動するには遅すぎる。
「火星天文研究所牧野から、オリンポス通信センターへ。緊急事態が発生した。全人口3人のうち、私以外の二人が死亡した。原因は不明。大至急調査隊の派遣を要請する。くりかえす…」
 通信室の空気に変化が起きた。重苦しく、ねっとりとした感じがする。牧野はかまわず通信を続けた。
「…牧野から、通信センターへ。緊急事態が…」
 急にコンソールのディスプレーが赤く染まった。下を見ると、自分の腹にボーリング大の穴があいていた。内臓がうごめいている。
 牧野は後ろを振り返った。そこには何かがいた。牧野は、直感的にそれが何かわかった。
「まさか。嘘だ…」
 その言葉が電気信号となり、小惑星を旅立った瞬間。
 まるで新たな星が産声をあげたような爆発が起こり、牧野の身体はプラズマとなって四散した。
 カイパーベルト上で、太陽系を正五角形でかこむように位置していた、地球、月、火星、木星圏、土星圏の各天文研究所は、同時にプラズマに変じ、五つの大きな星となって太陽系各地の空に出現した。

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 時は二十三世紀末期。栄華を極めた人類にとって、この同時に起こった異変は、これから始まる災いの序章ですらなかった。 

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