10、エピローグ
| 睡眠。解除。私はゆっくりと目を覚ました。 確認。知覚。起きたばかりで目の焦点が合っていない。調整。暫くすると、全ての感覚が鋭敏になっているのが感じられるようになった。 感触。自分が今どこにいて、何をしなければならないのかということが次第にはっきりとしてくる。質感。私は暖かい服を着て立ったまま寝ていたのだった。視認。私の隣には沢山の兵士がいる。計算。十九体。どれも同じタイプ。 認識。私は今、輸送用巨大ヘリコプターの中にいる。目的地にはあと六十二秒で到着する。 接続。今現在、私に続いて次々と兵士は目を覚ましていた。外の景色を見ようと歩いていく兵士もいる。私はその兵士の視点にリンクした。 完了。眼下には茶色が広がっていた。地形の標高には差があるようだ。検索。山岳地帯だろう。降下目標となる地点ははっきりと見えているが、座標以外にははっきりとした特徴は見られない。回帰。私は動きだし、目の前にずらりと並んでいる武器を見、自分の装備を確認した。 取得。背中にパラシュートを背負い、ドアの前で待機する。回転。私の後ろには私と同じ格好をした同じ設計の同じ思考形態を有する兵士が十九体。演繹。つまり、私は先頭にいる。反省。後ろを見ずとも前に誰もいないのを確認すれば済んだことだった。 聴覚。ドアは横にスライドし、ヘリのプロペラの回転音が機内へと進入している。一歩。私は隣に立っている生身の兵士に向かって敬礼してから下へと飛び降りた。 着地。すべてが予定通りだった。二十人同時に降下してもパラシュートが絡まることはなかった。同じ思考形態を有しているのだから当然と言えた。同じ思考をするということは、すなわち相手が今何を考えているのかがわかるということ。なぜなら、自分ならどう考えるかということを考えればいいからだ。 追加。敵陣営はもはや地対空の装備を持っていないと言うことが判明。それは降下中に攻撃を受けていないことからも類推可能。司令部の判断は当たっていたと言うこと。もしくは、レーダー系を所持しておらず、この降下が見つからなかったのか。反論。この降下は肉眼でも十分に見えたはず。攻撃しないのは兵器がないからというのは妥当。歩行。次々と着地してくる兵士達。確認。敵の潜伏場所は人工衛星から割り出してある。その場所での動きは何もないようだ。衛星とのデータリンクがそう伝えている。 前進。体の調子は好調。武器の重さもあまり感じない。麻酔弾と実弾を切り替えられるマシンガンは手に程良く収まっている。計画。ここから二百メートルの地点に敵は潜伏している。自然にできあがった洞穴に敵が息を潜めてから二日が経とうとしている。敵は自分たちの位置がまだ気づかれていないと思っているはず。私たち、エリタイプが戦場に投入されるまで、軍は攻め込むことはしなかった。理由。次の攻撃で首謀者を捕縛、或いは殺害するというシナリオがアメリカ軍には描かれていたから。洞穴内の戦闘では被害が甚大になることが多い。洞穴のマッピングデータが無ければ不意の攻撃に対処することは非常に困難だ。アメリカの世論は、核による自爆テロ以降で自軍の死者数に対して非常に敏感になっている。洞穴を攻めれば、全滅の危険性もありえ、それを生身の人間がやることは、たとえ事後だとしても世論の大反対を受けることは必死だった。真理。政権を維持するためには世論を怒らせてはならない。 結果。私は今ここにいる。私は兵器であるから、死ぬことはない。死ぬのではなく、破壊されるのだから。アメリカは日本と違い二本足で歩くロボットに対して愛着を持っていない。ロボットは反乱の象徴として小説などで描かれてきたことが多く、世論はロボットの大量破壊ならば容認するだろう。そう、アメリカ軍の司令部は考えた。 目視。草や木で視界は悪いが、サーモグラフィに人間に類する熱反応がある。判断。その熱反応があるところは敵が潜伏している地点に一致。衛兵だと考えられる。 通信。残りの十九体のエリタイプに作戦行動を指示する。唐突。全く同じ型の全く同じ性能の二十体であるのに、私がリーダーになっていた。思考。理由は分からない。推論。最初にドアに並んでいたからだろうか。切替。私たち二十体はお互いに視覚情報を共有することができる。私がなぜリーダーなのかという思考は現状の変化に対して何の役にも立たない。削除。今は、今のことだけを考えるべきだ。他のことに頭を割り当ててしまえば勝てるものも勝てなくなるかもしれない。 準備。 呼吸。 突撃。 ルシャは監視員の悲鳴で目を覚ました。悲鳴は洞穴の外だった。声は洞穴の壁に何度も反射してルシャの耳に届いていた。悲鳴の音の大きさからして、洞穴のすぐ入り口だろう。すぐにルシャは傍らに置いてあるレーザー兵器を手に取る。レーザーの残量はかなり少なくなっていた。あと一回銃撃戦があれば使い切ってしまうかもしれない量だった。 彼を入り口方向からは見えない場所まで誘導する。彼はタクスチ教の祈りの言葉を唱えルシャを勇気づけた。ルシャは全身の毛が総毛立つような気持ちの高揚を感じた。眠っている他の神の生徒達を起こし、入り口の方向へと向かった。洞穴は巨大で、奥行きが二百メートルもある。すぐには襲撃が来ないとはいえ、爆発物を使われたら一撃で終わりだった。ルシャは相手が彼を生け捕りにしようとしていることを祈った。 洞穴の壁に手を付きながら進む。洞穴は天然にできたものらしく、あちこちにつららのようなものが存在していた。壁には一カ所としてなめらかな部分は存在せず、細かなつぶのような物が付着していた。ルシャの後ろに続いて、自動小銃を持ったミンストゥカ生徒達が後に続く。敵に気づかれていないと思って洞穴の奥深くに拠点を築いたのは間違った判断だったらしい。 入り口の方向からは、銃声が轟いている。銃声は洞窟に何度も反射して反響していた。ちょっとした音が拡大されるような音響場の中で、怒号と銃声が入り交じっていた。もやもやとした音では、状況判断はできなかった。 ルシャの付近にいるのは、八人。残りはすべて入り口付近にいたはずだ。監視員は一般兵だが、他はすべてミンストゥカの生徒達だ。いくらアメリカの特殊作戦部隊だとしても、自分を道連れにして二人くらいは殺せるはずだ。 自分は何人殺せるだろうか。 ルシャはレーザー兵器をの引き金に指をかけて考えた。 いや、自分は殺す数について考えてはいけない。彼を守ることに専念しなければならない。 自分の命に代えても、この洞穴の奥に敵を攻め入らせてはならない。その過程で敵を殺そうが殺しまいが関係ない。為すべき事を為すだけだ。 洞穴は全体的にはやや九の字形に折れ曲がっており、まっすぐに入り口を見ることはできないような構造になっていた。 ルシャはそっと入り口の方向へと顔をだした。 計算。こちらの被害はそんなに大きくはなかった。現在。二体が頭を破壊されて完全に戦闘不能になっている。他のエリタイプは局所的に腕や身体を破壊されている者が三名いるが、作戦行動には全く支障がない。状況。全員が麻酔弾を使用し、入り口付近にいた五名を鎮圧した。私はそんなに活躍しなかった。他のエリタイプがどんどん突入していったから。このままいけば実弾は使わずに済むかもしれない。指令。この洞穴の奥に首謀者がいることは完全に判明していた。こちらは腕を破壊されても痛みを感じないし、手か足が残っていればたいていの作戦行動を行うことができる。私たちは、人間と比べればかなり有利だった。当然。私たちは兵器として造られたのだから当たり前だ。人間は兵器としてつくられたわけじゃない。思考。私たちは、人間と同じように判断し、人間用の過去の戦術資産を有効活用できる。 私たちは全く新しいタイプの兵器だ。 物音。洞穴の物陰から兵士が飛び出してきた。理解。この洞穴は九の字形に曲がっている。 さらに兵士が飛び出してくる可能性がある。兵士は私の射撃軸から身体をずらすように地面を転がっていた。転がりながらも銃口は私に向けられている。私も洞窟の壁に手を付いた反動で横に移動しながらその兵士を狙う。計算。相手の予想進路を割り出し射撃軸を修正する。 衝撃。左肩に痛みが走る。私の目の前にいる兵士の持っている武器はレーザー兵器のようだ。兵士のレーザーが左肩に穴をあけていた。私は左肩を押さえながらも兵士に照準を合わせ続けた。麻酔弾を確実に相手に当てるにはある程度の時間が必要だった。無視。痛みといってもそれは故障箇所を知らせるために存在するのであって、作戦行動を阻害する要因にはならない。私はエラーをまき散らす左肩の信号を遮断した。左手が機能不全を起こしたが、銃は右手で持っているために対した影響はでないはず。 完了。相手の兵士の動きに対してのパターン作成が完了した。麻酔弾を撃つために私は身構えた。すばやく銃口を横に移動させながら、兵士のレーザー兵器の斜線軸から逃れながら私は銃弾を発射した。 あいつは、なんなんだ?痛くないのか? ルシャが相手の肩を射抜いたときに考えたのはそれだった。入り口の見える場所へ飛び出してきたとき、敵の一人はルシャの真正面にいた。ルシャは身体を転がしながら相手の身体に向かってレーザーを発射した。レーザーは相手の肩を射抜いた。だが、敵はもがきもしなかった。痛覚を感じていないとしか思えなかった。レーザーに射抜かれる痛みはルシャは身をもって知っている。相手は左腕を下に垂れ下げたままルシャに向かって銃口を向けていた。 入り口はすさまじい状況だった。敵は恐ろしく速く、そして連携的だった。味方の銃撃を交わしながら、ありえないような角度、ありえない体勢から銃弾を発射しミンストゥカの兵士を射抜いていた。たとえ銃弾が敵に当たったとしても、敵は撃たれた箇所を全く気にせずに反撃していた。逆光であまり敵の様子は分からないが、全員が顔にマスクをかぶり、迷彩服に身を包んでいた。 ルシャは左肩を射抜いた相手に向けて再び銃を構える。レーザーは連続照射できるほどバッテリーがない。一度チャージして瞬間的に撃つしか方法がなかった。レーザーを実弾装填の銃のように利用するしか方法がなかった。身体をひねりながら、斜線軸を相手にぴったりと合わせた。 来る。 ルシャは相手の引き金を引く気配を察知し、横に飛び退いた。だが、相手はルシャが横に飛び退くことすらも予想済みのようにさっと銃口の方向を変えていた。銃声の鳴り響く洞穴の中で、さらにもう一つ銃声が騒音の中に追加された。 銃弾は跳ねた。壁に当たって跳ねた。 誤算。相手が飛び退くときの速度の計算を誤ったらしい。相手は飛び退く瞬間にやや足を滑らせていた。それが当たらなかった原因らしい。刹那。私は相手めがけて走り込んだ。より確実に弾を当てるためだ。 相手がルシャの方へと向かってくる。銃口はこちらにぴったりと向けてある。ルシャは滑りそうな床を全力で蹴りだし前へと突進する。間合いを詰めることにより発射タイミングをずらそうとした。たとえ弾が当たっても致命傷にならなければ勝機はある。ルシャはレーザーの出力レベルを最大にしてまっすぐ相手に向けて突進していった。 状況。他のエリタイプは現場を制圧しつつあった。敵を誰一人殺していない。象も一秒経たずに眠ってしまう麻酔弾のみを使用した。結果。この場に現れた敵すべては麻酔弾で眠っている。見渡す限り残っているのは、私の目の前にいるこの兵士だけだ。判断。兵士も間合いを詰めて向かってきている。周りの状況から考えて、この兵士が一番優秀らしい。ほかの兵士ならばわざわざ突進などしてこないはずだ。間合いを詰めることによりこちらの発射タイミングを外そうとしているのだろう。銃を向けられてもなお前へ進むことができる人間はあまりいない。私は冷静に麻酔弾を発射した。 腹部に熱いものが入った。大使館襲撃の時にできた傷と全く同じ場所だった。目の前が真っ暗になりそうなほどの痛みがルシャの身体中に走る。意識がふっと消えそうになる。だが、それでもルシャは銃口を的に向けたまま突進し続けた。 疑問。なぜこの兵士は眠らないのか。不明。私はどうすればいいのか。躊躇。もう一度麻酔弾を撃ち込めばいいことはわかっていた。だが、兵士の腹部は大量出血をしていた。麻酔弾が被弾したとは思えないほどの血の量だった。あのまま血が流れ続ければこの兵士は一〇分以内に出血多量で死ぬだろう。躊躇。私はどうすればいいのか迷った。兵士をすべて殺さずに制圧することが、アメリカの世論に対してのアピールになることはわかっていた。だが、死にかけた兵士を目の前にして私は何をするべきなのか。混乱。無血制圧を行うために、敵を助けるべきなのか。それとも、さらにこの兵士に麻酔弾を撃ち込み、あくまでも洞穴の制圧を目的にするのか。目の前の兵士は、死にかけながらも私を破壊しようとしている。予想。撃たなければ、私が破壊される可能性が高い。 推論。この兵士は勝手に血を流している。私が殺す訳じゃない。私が原因じゃない。それならば、私はいつものようにやればいいだけじゃないか。 経過。私が悩んだ時間は一秒の半分にも満たなかった。だが、その短い時間、私は兵士の様子を見ることをしなかった。不覚。それはミスだった。 衝撃。レーザーは私の頭に直撃した。 全身が波打っているような痛みと、強烈な睡魔がルシャを襲っていた。ルシャが放ったレーザーは相手の脳天に直撃した。だが、相手にそれほどダメージを与えることはできなかった。相手の顔を覆っていたマスクがはじけ飛び、相手の顔が露わになった。もう一度電圧をチャージして直接露出した顔に当てれば勝つことができる。 視野がだんだんと狭くなってきた。血が流れているからか睡魔からなのかは判断が付かなかった。ルシャは相手の顔しか見ることができなくなっていた。ほかの兵士たちがどういう状況なのかということは考えることもできなかった。ルシャの頭の中を支配していたのは、ただ、自分の為すべきことをやりとげるということだけだった。目の前の敵を倒すことが、為すべきことだと感じていた。今の状態の自分にできることはそれしかなかった。 視界が赤く染まっていた。レーザー兵器がとても重く感じられた。それでもルシャは相手の顔を狙い続けた。エネルギーがチャージでき次第撃ち抜くつもりだった。 狭い視界の中で、相手の顔が見えた。相手は、少女だった。アメリカでは女も兵士として参戦していることにルシャは驚いた。だが、驚いただけだった。男だろうと女だろうと、子供だろうと老人だろうと、彼の理想の世界、カルウの望む世界、タクスチ教により緩やかにまとまった世界の構築を邪魔する者は殺さなければならない。 エネルギーチャージ完了まであと三秒だった。 破片。私の顔を覆っていたマスクがはじけ飛んだ。私を人間以上のものにしていたセンサーはすべてマスクに備え付けられていた。破損。敵はふらふらしながらも私の顔に銃口を向けていた。顔をガードするものがなくなった今、直接レーザーによる攻撃を受けたら私の内部の量子計算機は損傷を受けるだろう。今撃たなければ、私は破壊される。 周囲。他のエリタイプは私と兵士の挙動を見守っていた。全員が兵士に銃口を合わせていた。私が倒れたらすぐにでも兵士を撃とうと構えているのだろう。私が同じ立場だとしたらそうしている。 解消。結局、この兵士は私に撃たれようが撃たれまいが、他のエリタイプに撃たれるということだ。それなら私が撃たなければ私は壊され損になる。 目測。私は精巧な照準を行わずに、ただ、撃った。 連射。どうせ死んでしまう兵士ならば何発撃ってもかまわなかった。私は相手の身体に銃弾を一〇発以上たたき込んだ。 意識が、消えかかっていた。 ルシャの目には何も映っていなかった。すべての感覚が消失していた。自分の身体に何発も銃弾が撃ち込まれたことに気づいてすらいなかった。ルシャはただ、レーザーのチャージが終わるのを待っていた。チャージが終わり次第引き金を引こうとしていた。だが、チャージが終わったことを示すランプを見ることはすでにできない。引き金を引く指の力はもうすでにない。 無感覚の暗黒の中で、ふっと、悟る。 すでに自分は外界から切り離されているということを。 暗闇の中で、自分の意識だけが、浮いている。そこには、何もない。 ルシャは、考えた。考えること以外にすることはなかった。 自分は、為すべきことをやってない。シュハラとは違って何も為していない。それなのに、俺は死ぬんだ。カルウに対して俺は何を言えばいいのだろう。彼にはなんと言い訳をすればいいのだろう。タクスチ教を教え込んでくれた彼に、俺はなんと言い訳すればいいのだろう。俺が難民キャンプから拾われた意味は、あったのだろうか。こんなことになるのなら、何も為さずに終わってしまうのなら、ただ生きるためだけに生きるあの頃の生活のまま死んだ方がよかったのではないか。 いや、そんなことはない。 たとえ失敗に終わったとしても、俺は為すべきことを見つけていたのだから。為すべきことがわからない人間が多い世の中で、俺はきちんと見つけていたのだから、俺はこれでよかったはずだ。 死んだ後にカルウに聞けばいい。そうすれば真実がわかる。 暗闇が溶けていく。 回転。目の前の兵士は一三発の銃弾を受けて身体が回転していた。何の抵抗もせずに、ただの人形のようにくるくると回りながら床に崩れ落ちた。確認。流れ出す血の勢いはすでに非常に弱かった。心臓が止まったことにより血液の送り出しがストップしたからだろう。もう、洞穴の中には銃声は存在していなかった。何の音も聞こえなかった。 静寂。私はあたりを見回した。この兵士たちの中に、首謀者はいるのだろうか。目的。首謀者を国際法廷の場に連れ出すのがこの作戦の目的だった。首謀者の顔はテロを起こしたときの犯行声明のビデオに映っていた。記憶。私は完全に首謀者の顔をインプットしてある。他のエリタイプも同じだった。全員が兵士の顔を一つ一つチェックしていく。前進。私は目の前で息絶えた兵士の顔を見た。死に顔は安らかだった。まだ若かった。推測。たぶん、片浜君と同じくらいだろう。 破裂。記憶がよみがえってくる。すべてのエリタイプが根底に所持している片浜圭の記憶。私は、なぜ、こんなところにいるのだろう。天文心理部の出し物はどうなったんだろう。私は、なぜ、片浜君と同じ歳の人を殺してしまったのだろう。 錯乱。私はその場にしゃがみ込んだ。自分がなんだか理解できなくなった。私は手に持っていた銃を地面に投げ捨てた。銃は大きな音を洞穴に反響させて壊れた。他のエリタイプが私の挙動に注意を引いている。 混乱。他のエリタイプ?私は私であって、他には存在しない。私は佐那田恵理。恵理は私しかいない。なのに、なんで同じ顔がいっぱいいるの?同じ考え方をするのがたくさんいるの?私は銃撃によりマスクが破壊された他のエリタイプを見ると吐き気がした。同じような髪型で、同じような目つきをした他のエリタイプを見ていられなかった。私はしゃがみ込んだまま目を瞑った。嘔吐。吐こうとするが何も出てこない。私は人間ではないのだから吐けないのは当たり前だった。 足音。足音が近づいてくる。走り方が私と同じだった。たぶん、私の様子を見に来たのだろう。私はただひたすらしゃがみ込んだままでいた。 制御。私は、暗闇の中にいた。何も感じることができなかった。制御。目を開いているのに何も見えない。私は気が狂いそうになった。制御。叫ぼうとしたが私には口がなかった。声を出せなかった。修復。闇の中、思考だけの存在となった私はただ浮いていた。片浜君の事も忘れ、戦場のことも忘れ、ただふんわりと闇の中に浮かんでいた。浄化。自分の思考が自分で見えるような気分だった。完了。やがて、私は落ち着いてきた。自分が何であるか、何をしなければならないのかが、すっと頭の中に入ってくる。さっきまでいったいなぜ取り乱していたのかがわからない。私が落ち着いたと判断すると、制御装置は私に五感を返した。網膜に像が結び、静かだがやや音のある世界が帰ってくる。 起立。私は投げ捨てた銃を拾い、まだ使えるかどうか調べた。多少欠けているところがあるが、銃としての機能は失っていないようだ。他のエリタイプが、この場には首謀者がいないことを告げる。そのエリタイプが素顔をさらしてこっちを見ていても、私は何も感じなかった。私たちはエリタイプ、兵器なのだから同じ顔をしていて当たり前だ。 探索。私は、洞穴の奥深くへと入っていった。 片浜は、屋上で星空を眺めていた。空気が透明で、星がよく見えた。 空気は少し冷たい。片浜は夏服の上に何も着ていない。このまま何時間も星を見続けていたら風邪を引いてしまいそうだった。 夏はそろそろ終わろうとしている。 手すりに寄りかかり、足下に置いたラジオの音に耳を傾けていた。ラジオは静まりかえった夜の学校の静寂を乱さない程度に穏やかにニュースを奏でていた。 『……我が国がアメリカ軍に提供した高度戦略情報兵器による突入作戦により、アメリカ軍は今回の一連のテロ活動団体の首謀者、そして、タクスチ教原理主義の中心的指導者でもあるカニニィスカ・カリムを捕縛することに成功しました。突入作戦では、カリムの側近の一名が死亡しましたが、それ以外に双方に死者を出しませんでした。これからの戦争、国家対個人の戦争において、我が国の自衛軍が開発した高度戦略情報兵器がきわめて有用であることをこの戦闘が証明したのです。人間が関与しない突入作戦のため味方の死者を出さないこの方式は、今後の戦争のあり方を変えるでしょう……』 夏が終わり、秋が来て、冬が来る。この街では雪が結構降るらしい。片浜の前に住んでいた街では雪は降っても積もることはなかった。ここでは、真っ白な雪を登校中に踏みしめることができるほど降るらしい。 屋上から眺める景色は、どのくらい変わるのだろう。 片浜には想像もできなかった。 片浜の傍らには、エリがいた。エリは屋上の床に直に体育座りをしていた。膝を両手で抱えて、顔は星空の方を向いている。微かな風がエリの赤いバンダナを揺らしていた。屋上に備え付けられた小さな照明が、二人をぼんやりと照らしている。 「なあ」 片浜がエリの方を見て言う。 「んー?」 片浜の声に反応して、エリはゆっくりと顔を片浜へと向けた。エリの瞳はぼんやりとしていた。最初に会ったときの知的な雰囲気はあまり無い。片浜のいる位置よりもさらに遠い場所に焦点が合っているかのようだ。首を傾げ、片浜の様子をうかがっている。 「今の佐那田さんは、オリジナル?」 エリオリジナルは損傷が激しく、制御装置を使わずに動いているために負担が大きく、毎日稼働させておける状態にない。だが、佐那田は毎日登校してくる。 「あのさ」 エリは体育座り姿勢を解いて立ち上がった。片浜の隣で、一緒に手すりに寄りかかる。手すりがやんわりときしんだ。二人で手すりの外側に背を向けて並んでいた。エリが右。片浜が左。エリは片浜の右手にそっと触れた。エリは左手で片浜の手を握ろうとする。片浜はエリの左手を握り返した。エリはそのままの状態で顔を片浜の方へと向けた。 「私がオリジナルかそうでないかってことは、片浜君にとって大事なことなの?」 知的ではないが、やさしそうな瞳が片浜を見つめていた。 「そうさ。オリジナルが本当の佐那田さんなんだ。他はすべてただの模造品。ただの兵器。アメリカ軍の指揮下でテロリストを制圧し、命令であれば他人を殺すこともいとわない。本当の佐那田さんはそんなことはしない」 片浜がそう言うと、エリは悲しそうな顔をした。エリは瞳を閉じ、開けた。手を握るエリの力が、ほんの少し強くなる。 「今の私は、オリジナルだと、思う?」 エリはじっと見つめたまま聞いた。ラジオが、ニュースを奏でる中、風が、冷気を運んでくる中、月が、精一杯の反射光を照らし付ける中、エリは、ただ、片浜を見つめていた。 「そんなこと、俺にはわからないよ。外見で区別をつけることはできないんだから」 「それでも、片浜君は、オリジナルとそれ以外を区別するんでしょ。それなら、今、私が、オリジナルなのかどうか、判断して」 片浜には何も言えなかった。目の前にいるエリがオリジナルかどうかということは片浜が見ただけではわからないのだ。外見も、思考も、エリタイプとオリジナルは全く同じ。片浜の区別はただの気持ちの問題だ。それは片浜もわかっていることだった。 星と月明かりの中の学校。天文心理部の活動の一環として行われている夜の天体観測。屋上には望遠鏡の姿はない。望遠鏡を用いずにただ星を眺めるだけの、天体観測というには大仰すぎる活動。今日の天気は晴れ。ひさびさの晴れ。一週間ぶりくらいの晴れだった。星空を眺めるのは一週間ぶりだった。参加部員は、やはり二人。片浜とエリしかいない。 今、片浜は星空を見ずにエリの瞳を見ている。 「……わからないよ。判断できない」 エリはゆっくりと片浜の正面に回った。手は繋がれたままだ。 「なら、区別なんかしないで。病院で私とすれ違ったときのような冷たい態度を他のエリタイプにしないで」 「けど、俺と一緒に、ずっと一緒にいてくれたのは、オリジナルの佐那田さんなんだ。兵器としてのみ創られたエリタイプじゃない。俺にとって、佐那田さんというのは、オリジナルの佐那田さんのことだ。他はすべて偽物。外から区別が付かなくても、それは偽物なんだ」 「私はオリジナルじゃない」 唐突にエリは言った。エリは片浜の両手を自分の両手で包み込むように持ち上げた。 「片浜君にとっては、私はたくさん存在する偽物の一つにしかすぎないかもしれない。けど、私にとっては、いや、オリジナルも含めてすべての佐那田恵理にとっては、片浜君は一人しかいない。他に代役はいない。学校へ行っているオリジナルと二人のエリタイプは記憶の同期をとっている。私たちは、みな、同じなの」 片浜はエリの手を振り払った。エリは後ろによろけた。 「オリジナルは、内部に制御装置とやらを持っていない。オリジナルの佐那田さんは制御装置に束縛されていない。それが、違いだ。佐那田さんには自由意志が存在する。だが、あんたにはそれがない。それが、違いだ。学校に来ているときも、オリジナルかどうか識別できるような札をどこかにつけてくれよ。そうしないと、俺はあんたを佐那田さんと間違えてしまう」 片浜はエリに背を向けて夜の静まりかえった街を眺めた。ところどころ街灯が消えている箇所があった。この街にしては珍しかった。ラジオはいつの間にか音を発していなかった。ゆっくりとした風の音だけがあたりに満ちていた。 「自由意志が制限されていることは、片浜君からはわからない。私にしかわからない。私がオリジナルではないということは、片浜君は私に聞かない限りわからない。わからないなら気にしなければいいのに。制御装置のあるなしが私という存在を大きく変えるわけではないのに」 エリは片浜の後ろ姿に向かって話し続けた。片浜は振り向こうとしなかった。 「オリジナルと私は、同じ記憶を共有しているんだよ。私は毎日片浜君と会っている。今はすでにオリジナルの記憶と性格を私は完全に受け継いでいる。私の中では、オリジナルの記憶と私自身の記憶の重みに差はないよ」 片浜は何も言わなかった。ただ空の向こうを眺めていた。だが、片浜の目には星空は映っていなかった。ただ視線の先に空の向こうがあるだけだった。 「わからないのは、なぜだかわからないのは、私なのに」 片浜の背中にエリは腰に手を回すようにして飛びついた。両手で片浜の腰を強く抱きしめていた。片浜は振り向いた。エリは顔を腕と背中の中に埋めていた。 「片浜君と過去に直接一緒にいたというだけで区別されるのは、嫌。そんなの、わからない。そんなの、違いはないのに。私の存在目的は兵器だけど、そんなこと関係ないじゃない。オリジナルだって、もう制御装置がないから、戦場には行かないけど、兵器として創られたのは、かわらないじゃない。それなのに、なんで?私が、こうやって、体験していることも、オリジナルの記憶になるんだよ?それなら、私をオリジナルと同じと、考えてもいいじゃない。私とオリジナルは、絡み合ってる。私の頭の中の、量子計算機の確率の波と同じように。単独で取り出しても、意味がないの」 エリは泣きじゃくりながらしゃっくりを繰り返していた。しゃっくりを繰り返しながら、エリはしゃべっていた。所々聞き取りづらいところもあった。 「区別なんて、意味がないの」 最後の言葉だけは、エリははっきりと発音した。 片浜も頭では理解していた。目の前で泣きじゃくっているエリタイプも佐那田であるということを。記憶を共有していることも知っていた。だが、気持ちの安定の為には佐那田は一人でなければならなかった。たとえ区別が付かなくても、同じ人物が何人もいるという状況に心が耐えられるとは思えなかった。 片浜は背中を抱きしめているエリの手をそっとはがし、エリに向き直った。エリの両手をつかんだ。エリは顔を見上げる。瞳は涙で濡れていた。赤いバンダナの先がくしゃくしゃになっていた。 佐那田恵理という人間は存在しなくても、佐那田さんは存在するんだ。エリタイプもオリジナルもまとめて一つの佐那田さんなんだ。二人同時に見なければいい。そうすれば複数いることを意識しなくてもいい。 泣きじゃくるエリタイプを見ていると、片浜はそうとしか思えなくなっていた。自分が区別できないのなら区別しなければいいと思えるようになっていった。 「片浜君?」 片浜はずっとエリの瞳を見つめ続けていた。エリは困ったかのように視線をずらし、戻した。 「わからないのなら、わからないままでいいんだ」 片浜はエリの手を離し、手すりをつかんだ。真上を見上げた。落ちてきそうなほどの星が空には散らばっていた。片浜は空に向かって手を伸ばした。落ちてくる星を受け止めるかのように。エリも涙目をこすって両手を高く空へと伸ばした。エリの顔は笑っていた。 わからないことはたくさんあっても、そんなに気にしなくてもいいんだ。この星空にも無数のわからないことがあるんだから。 片浜はそのことを口には出さなかった。あまりにも当たり前すぎる事実をエリに対して言うのは少し恥ずかしかったからだ。 二人はしばらく両手を広げたまま星々を眺めていた。冷たい風が心地よかった。 月明かりがうっすらと二人の影を作っていた。 |