9,帰結
| 片浜は、落雷から一週間が経ってようやく状況を飲み込めるようになった。佐那田が実は機械であるということを、白衣を着た背柳という女性が三人の佐那田が登場する前に言い忘れていたのが理解を困難にさせていた要因の一つだった。背柳という女性は片浜が佐那田が機械であるということに気づいていると思いこんでいたらしい。 落雷の時、木が片浜の方へと倒れ込んでくるとき、佐那田は片浜を肩に担いで安全な場所へと移動させた。だが、そのときは片浜は混乱していて何が起きたのかはさっぱり覚えていなかった。目の前にあふれた光しか覚えていなかった。 佐那田が機械だということに片浜が気がついていないとあの女性が判断していれば、自分はいつもと同じ生活に戻れたのかもしれないと思うと、腹立たしかった。機械だということに気がついていなければ、片浜が入院している間に佐那田は回復し、そのまま転校していったという筋書きになるはずだったらしい。背柳は後日に片浜にそう言った。しきりに謝っていたが、謝って済むような問題ではないと片浜は思っている。 あの一瞬で俺の信じていた物が一瞬で崩壊した。わからないものばかりの世界の中で唯一確かなものとして存在していた佐那田さんが、一瞬で最もわからないものの一つになってしまった。 それは、よしかかっていた屋上の手すりが急にはずれるくらいの衝撃だった。霧に包まれた世界で懐中電灯の光が消えるくらいの衝撃とも言い換えることができた。気休めかもしれなくても何か頼るものがあるほうが人間は落ち着いていられる。 知らなければ幸せなことは世の中にはたくさんある。それを片浜は思い知らされた形となった。 一週間で片浜はある程度の現実を受け入れることができるようになった。あの三人のエリタイプ(片浜はオリジナル、すなわち一緒に行動していた佐那田さんとしてのエリとの区別をつけるために他の量産タイプをそう呼ぶことにしていた)の提案を素直に受け入れた。その提案を受け入れれば、以前と同じ生活を形式的には続けることができる。 何も見なければ、見てしまったことをなかったことにしてしまえば、それは全く同じ生活になるはずだ。だが、根本的な部分でそれは以前と決して同じ生活にはなり得ないということも片浜は知っていた。 佐那田恵理という人間は存在しないという事実は取り消すことができない。見てくれが同じでも、片浜も佐那田も中身が変わってしまっている。知ってしまったことを意識しないでいることは非常に難しい。それが記憶に焼き付くくらい衝撃的なことだったらなおさらだった。 佐那田恵理という人間は存在しなくても、佐那田さんは存在するんだ。 片浜はエリタイプを佐那田と思うことはやめた。構成が全く同じだとしても、見分けが付かなくても、同じ考え方をしたとしても、エリタイプは佐那田ではない。そう思わなければ頭がどうにかなりそうだった。片浜は自分の目に付くところに存在する全てのエリタイプに番号札をつけることを要求した。そうすれば、番号札を見ることでそれが佐那田さんではなくてただのエリタイプ、ただの量子計算機搭載型高度戦略情報兵器の量産型ということがわかる。エリタイプに対しては、たとえそれがどんな態度に出ようとも片浜は冷たい態度をとった。エリタイプが笑おうが泣こうが、心の平安を得るにはそうするしか方法がなかった。 片浜は軍の医療施設の屋上で空を眺めていた。 左足は松葉杖を使えば歩けるほどにまで回復し、焼けども厳重に包帯を巻かなくても大丈夫なくらいに回復していた。 夕焼けが空を染めている。 軍の医療施設の屋上は、基本的には学校の屋上とあまりかわなかった。ただのコンクリートの床、直線的な構造。建物の端の方には人が立ち寄れないように一段高くなった場所があり、そこには直線やパラボラのアンテナが立っていた。学校のパラボラアンテナよりもここのアンテナのほうが一回り大きかった。ねずみ色の床はところどころ湿っている。常に日陰になるような場所には小さな水溜りがあった。水溜りにはどこから飛んできたのかわからないような茶色い葉が浮いている。 転落防止用の手すりに体重を預けながら片浜は風景を眺める。 風景は学校からのものとは大きく異なっていた。学校から見えるのは学校の敷地とのどかな住宅街だったが、ここから見えるのは、遠くまで広がる軍事施設の様子だった。地下鉄を使い、関係者以外は乗ることができない線を使えば、片浜のいる医療施設と学校は三分で往復可能らしい。距離的には学校とはそんなに離れていないはずだったが、学校から軍の施設を見ることはできない。軍の施設のほとんどが地下に存在し、地形的に敷地の周囲に霧が発生しやすい状況のためだ。敷地の内部には霧は無く、敷地の周囲に霧があるというのは、何か科学的な方法を使っているのかもしれなかったが、それを推測することは片浜にはできなかった。 兵器の研究開発が主であるため、軍用機などを見ることはできない。トラック等の貨物系の車両ばかりが目に付いた。ほとんどが道路で、ところどころに搬入口のようなものがある。搬入口は地下鉄の入り口のような形をしている。軍の中心はすべて地下にあるため、トラックも地下へともぐっていくのだった。トラックは次々に地面にあいた穴に吸い込まれていく。引き伸ばされた搬入口の影に引き伸ばされたトラックの影が入り、消えていく。 片浜はただ、じっと景色を眺めていた。 空がオレンジから赤へ、赤から青へと変わっていくのをただ眺めていた。 逃走は困難を極めていた。 ルシャ達の敗北は明らかだった。弾薬の補給も満足にならない状態で、ただ山岳地帯で潜伏を続けた。彼をかばいながらルシャ達は安全で長期間の潜伏ができる場所を探して歩き回った。行方不明や死亡、離反などで、ルシャ達は全部で一五人ほどになっていた。ほとんどがミンストゥカの生徒たちだった。彼から直接教えを受けたもの以外で今現在も彼とともにこの潜伏に参加しているのはたったの二人だ。その二人はシュハラ以上にアメリカを憎み、その憎しみだけで痛みを忘れて動いているようだった。残りはルシャも含め彼を信じて行動している。彼らは、現在はつらく苦しい時期だが、必ずカルウの加護のもとにアメリカに逸し報いることができると信じていた。 ルシャは、食料を得るために近隣の村を襲った。 彼から命令で仕方なくやったことだった。そうしなければ自分たちは餓死してしまう。ルシャは彼に村人たちには友好的な態度をとって自発的に食料を差し出してもらうべきだと言った。 「ルシャ、それはできない。このあたりは食糧事情が悪い。見ず知らずの他人に食料を与えたら村人が餓死してしまう可能性もある。だから村人は我々に食料を供給しないだろう。カルウの教えがここまで広まっている保証も無い。我々の成為そうとしている事は村人たちよりも高い次元の事だ。我々のために村人が犠牲になってもやむを得ないことなのだよ」 そのとき彼は、自らの銃の手入れをしながらそう言ったのだった。彼の顔は食糧不足でこけていた。全員が餓死の二三歩手前にいることは明らかなことだった。 ルシャは承知し、村から食料を強奪した。かたくなに抵抗するものは殺した。 自分たちが為そうとしている事のほうが重要だと何度も繰り返しつぶやきながら。 静かな夜に、牛を焼いて食べた。 執拗な攻撃は収まり、アメリカ軍はルシャ達のことを見失ったように思われた。すでに、一番最後の交戦から一週間が経っていた。ルシャはアメリカ軍が決してあきらめないことを知っていた。静寂は必ず破られることを知っていた。 ルシャは牛の肉をかじりながら、ときどき思うことがある。 自分たちは今何をやっているんだろうか、と。 このようなことを続けていて、本当にカルウの望む世界がくるのだろうか、と。 自分たちはカルウの望む世界の建設に本当に力になっているのだろうか、と。 俺は為すべきことを為しているのだろうか、と。 だが、思考はすぐに肉の味の中に埋もれる。考えても無駄なことはわかっているからだ。ルシャができるのは、彼を守り通すことだけだ。それ以外には何もできない。ルシャ一人の影響力は小さい。彼を守り抜き彼が生き延びれば、彼がやるべきことをやってくれる。 背柳は、空を眺めていた。 地上にはアスファルトの上に描かれる自分達の長い影。空は夕焼けの赤が支配的だった。雲に横から光が当たり、オレンジ色の光を放出していた。 背柳と佐々木と桂木の三人は軍の施設の地上部分に立っていた。背柳の見る方向には空の他に、小さな黒い影が見える。もうすでに遠く、はっきりとした形を見ることはできない。爆音も空の向こうへと消えかけていた。 輸送機は、背柳の最高傑作を載せて空へ消えようとしていた。量産型のエリタイプのインストール作業は全て完了し、エリタイプは自衛軍本部へとつれていかれる。そのあとすぐに米軍に引き渡されることになっていた。 背柳が開発したシステムをインストールしたエリタイプはすべて自我を持った。未だに原因は全く分からなかった。自律機能の発生する過程は複雑すぎた。佐々木にも背柳にもどうすることもできなかった。二人は暴走の危険性を抑えるための制御装置の開発に力を入れた。 オリジナルのエリへの落雷事故は、制御装置の極限耐久テストになった。落雷よりも激しい衝撃が戦場で起こることはあまり無い。起きたとすれば、そのときには制御装置どころかエリの素体自体が完全にスクラップになるだろう。他の部品が正常で制御装置がいかれているという状況が暴走を引き起こすのだから、制御装置をシステム的に他の部分より安定にすればいい。 輸送機の爆音は、もう、聞こえなくなっていた。輸送機の姿もすでに見えない。 「行っちゃいましたね」 佐々木が言った。佐々木の言葉は、ただ事実を言うかのように感情がこもってなかった。 「これで、肩の荷が下りましたね。ある意味、これは背柳さんが望んだ展開に近いんじゃないですか?」 桂木が言う。桂木はあいかわらずくしゃくしゃの白衣を着て、たばこを吸っている。たばこの煙は夕日の光がまぶしすぎて見えなかった。 背柳は答えない。ただ輸送機のあった空を眺めていた。桂木は背柳の方を見ている。 「私たちの開発したシステムをエリタイプと呼ばれる素体にインストールすると必ず自律機能が生じる。インストールされた素体は自我を持つ。量子計算機のアルゴリズムはフォンノイマン型のコンピュータのアルゴリズムとはかなり異なりますから、プログラムが非常に難しい。それが自我を持つ原因だったんでしょうかね。背柳さんは、エリが偶発的に自律機能を獲得したと考えた。それは量子計算機が利用する確率の泡のようなものだと考えたのですよね。うまく調整しないとすぐに崩壊してしまうような確率の泡。だが、再インストールしても自律機能を持っていたということで、自我というのは確率の泡ではないことが実証された」 桂木はたばこを下に投げ捨て、背柳の近くに歩み寄った。そして、背柳の隣に立つ背柳よりも一回り小さい頭に手を触れた。頭を触れられた人物は桂木の方を見上げ、笑った。 「くすぐったいですよ、桂木さん」 その人物は自分の頭の上にある桂木の手をつかみ、頭からどけた。桂木はもう片方の手でその人物の頭を撫でた。今度はその人物の手は桂木の手をつかもうとしなかった。そのまま撫でられるままになっていた。その人物は微笑んでいた。 「落雷のせいでオリジナルは兵器としての価値を失った。中を開いて処理状況を調べれば計算過程の波動が崩壊してしまう量子計算機に、雷がどんな影響を与えたのかは誰も知ることができない。状態を把握できない兵器など、危なっかしくて使うことはできない。しかし、製造するのに最新鋭戦闘機並みのコストがかかっているオリジナルを破棄することはできない。となると、その危険な兵器は研究用として研究機関の所属となるわけですね」 「ええ」 「私は危険じゃないですよー」 エリは桂木の手をやんわりとよけ、沈みかけた夕日の方へと走った。背柳が見ている間に、夕日は徐々に地平線へと吸い込まれていく。空が赤から藍へと変わろうとしていた。その中、消えゆく夕日の逆光の中で、エリは立ち止まり、背柳達の方へと手を振る。エリの表情は見えない。 だが、背柳にはその顔が笑顔だということを確信できた。 大電流を体内に流してしまったエリの身体はかなりの部分が修復不可能だった。ナノに近いスケールで配線された機器は電流の影響を受け内部回路に変化が生じ、一つ一つが独立していたエリの各部は、一つをはずすと全体がいかれてしまうような回路図的に絡み合った物になってしまった。修復するには、一つ一つの機器の処理を把握し、どの信号が何に影響を与えているのかを逐一調べて慎重に部品の交換を行うか、交換をせずに回路の修復を行うか、エリの自己治癒力に委ねるしかなかった。 どの案を採ったとしても、完膚無きまでに破壊された制御装置を組み入れる回路的余地はどこにもなかった。 エリは、今、暴走している。暴走していなければ行動できないのだから。オーバードライブ状態になってはじめて各部が連携して働き、エリという人物を形作っている。 暴走しているエリを止めることはできない。 背柳は暴走を止める気はまったくなかった。 オーバードライブで損傷すれば治せばいい。修復不能になる前に修理をすればそれで済む。 「なんかさ」 背柳は夕日の中で踊るエリを見て言う。 「今の状態のエリって、身体が機械であることの利点が全くないわ」 「そうですね。まるで、人間みたい、ですか?」 桂木もエリの方を見て言った。 夕日は地平線の下に沈んだ。 |