3,空を見上げて
| 風が吹いていた。 街が全部見渡せる屋上に、涼しい風が吹いていた。風は佐那田の薄い茶色の髪をさらさらと撫でている。 街は背が低かった。 空はどこまでも青くて、その青さをさえぎるような人口物は何もない。 片浜は屋上の白い手すりにつかまっている。 手すりは不自然なほどに真っ白かった。手を離せば手のひらに白いものがつきそうな気がした。 佐那田は、片浜の隣で同じように風に吹かれている。まっすぐに空を見ているようだ。 「ねえ、君は何について研究したい?」 佐那田は瞳を空へ向けたまま言った。 「あの、俺、まだ入る入らないとかも一言も言ってないんですけど。そもそも、俺は天文心理部がどんな部かも知らないし」 「特にやりたい研究がないんだったら、私と一緒のことやろうか?」 「あの、俺の話聞いてる?」 「私がやっていることはね、人が夜空を見て、星を見て、どんなことを感じるんだろうかってこと。夜空を見て想うことは人それぞれだと思うけど、けど、みんなが感じることってあると思うんだ。そういうのを研究してる」 佐那田はひたすらに空を見ている。 この女の子が何を考えているのか、片浜にはさっぱりわからなかった。 瞳は黒めのブラウンだった。髪は思わず触ってしまいそうなほど細くて、長さは腰の近くまである。髪の根元から先まで、どこにもむらのない茶色い髪。髪の毛の色はきっと色素の薄さのせいだろう。 手すりから手を離す。片浜の体重から解放されて、手すりが少しゆれる。そのゆれが伝わったのか、佐那田が片浜のほうを見た。 「俺、まだこの学校に来たばかりだし、この学校は前にいた学校と全然違うし、戸惑ってるんだ。だから、部活とか、そういうの入る気、今のところない。さよなら」 片浜は青空を背にした。視線の先には屋内へと続く扉がある。屋上の風はとても気持ちよくて、いつまでもいたい気持ちにはなったが、自分の置かれた状況を把握するまで、何かにかかわり合うことは極力避けたかった。 一歩ずつ歩く。風は、向かい風だった。 「ねえ」 片浜の左手がつかまれる。振り払おうとしたが、無理だった。片浜の左手には、佐那田の手がある。片浜は引っ張られて一歩も動けなかった。 「夜でもないのに、天文なんとかに誘うなんて、どうかしてるって。俺は入る気はないから、手を離してください」 後ろを振り返った。 佐那田が、泣いていた。 振り払おうとしても振り払えない程の力で片浜の手を握っている女の子が、片浜の目の前で泣いていた。瞳には涙をうかべ、軽くしゃっくりをしながら左目を手でこすっている。背が小さいので、彼女が非常に幼く見えた。 何がなんだかわからない。 「なんで泣いているんだ?」 手を振り解くことを忘れて、今この場所から立ち去ろうとしていたことも忘れ、片浜は佐那田に声をかけた。 佐那田の返事はない。ただ、しゃっくりをしながら片浜の方をじっと見つめている。 どのくらい見つめあっていただろうか。耳のそばを通り過ぎる小さな風の音と、しゃっくり、そして、遠くグラウンドの方から聞こえる野球部員らしい連中の掛け声と打球音が、屋上にある音のすべてだった。 やがて、しゃっくりが止まる。 「ねえ、なんで入ってくれないの?なんでみんな私と一緒に居たくないの?」 「そんなこと、俺に言われても困るよ」 「ねえ、私のこと嫌い?」 答えに窮した。 片浜と佐那田は今日会ったばかりだ。片浜が今日はじめてこの学校に来たのだから当然だった。相手のことをよく知らないのに、好きとか嫌いとかの判断がつくわけがない。 「嫌いでは、ないけど」 少し考えて、佐那田の顔を直接見ないようにしながら、一番無難そうな答えを返す。 「なら、好き?」 答えに窮した。 予想外だった。一瞬、新手のジョークかと思った。嫌いではないと言ったときに相手がどんな気持ちで言ったかどうかくらい、ニュアンスからわかるだろうにと思った。 とても高校生の言動とは思えない。 俺にどのような答えを期待しているのだろうか。 佐那田の顔を見る。 目は少し赤くなっている。口をむすんで、じっと片浜のほうを見ている。 どこかで見たことがある。と思った。佐那田とは間違いなく初対面なのだが、その表情に見覚えがあった。 何か心の奥を刺すような痛みを伴う記憶。雨の記憶。 どこで見たのだろう。 遠い過去か、最近なのか。いつ見たかということもわからないが、確実に同じような表情を見たことがあった。 「好きだよ」 気がつくと、片浜は自然にその言葉を発していた。 次の日の朝。 寝坊した。 深すぎる睡眠なんて久しぶりだった。眠気が顔に張り付いて離れない。風船ガムが鼻にくっつくよりたちが悪い眠気だ。寝ぼけ眼のまま洗面台に移動し、水でばりばりと眠気をはがす。 頑固な眠気はまだ少し残っていたが、完全にはがし落とす時間は無い。注いでおいたカップラーメンを三分待たずに食べ始める。堅い。瞬間的に麺を食べ、残りのつゆに水を注いで薄めて一気に飲む。制服に腕を通しながら部屋中を走る。最低限の持ち物チェックをして玄関へと走り鍵を閉めた。 床をつま先で叩きながら、一階へのエレベータを待つ。 ドアが開いた瞬間、片浜はボタンを連打した。 走る。 身体の限界はとうに超えている。新しい心臓に取り替えたい。肺を取り出して水をかけたかった。空は見事に晴れ渡り、雲一つ無く、まさしく快晴だった。 前方に小学生達がのんびりと歩いているのが見える。黄色い帽子をかぶって、三人で手をぶらぶらさせながらわいわいはしゃいでいる。 じゃまだった。 小学生の登校時間は高校生より二十分ほど遅い。小学生達とじゃれあっている暇はない。 「はいはいはい、どけてどけて」 片浜は突然声を掛けられてきょとんとした三人の小学生の脇を駆け抜けた。 走っていくうちに通行人の年齢層が変化していく。時間が加速していくような感覚さえあった。 自分より五分早く出た集団。十分早くでた集団。三十分早くでた集団。 小学生から、中学生へ。小走りに走る高校生の集団に。 高校生がゆっくりと談笑しながら歩いている地点までやってくると、ようやく深呼吸ができる。一度立ち止まって、肺を取り出す代わりに家から出かけ際に持ってきた魔法瓶から水を飲む。 「はああ」 家がなまじ近いせいで、地下鉄を使おうにも駅がない。かといって、自転車を使うこともできない。学校に駐輪場が少ないためだった。学校側は地下鉄の路線が無くて、バスの路線もない地域に住む生徒にのみ自転車通学許可を出している。 いつもは片浜は寝坊しない。目覚ましの五分前に目覚めてしまうような人間だ。設定した時間までの五分間、布団の中でまったりと過ごす時が至福の時間だった。まったりとする時間がないと、朝の気分が最悪になる。頭の隅に血がたまっているような、重心が身体の中心にないようなそんな気分になる。 寝坊した理由は簡単だった。 昨日一日が重たい一日だったからだ。考えても答えのでない、もしくは答えが無いのかもしれない疑問に頭を埋め尽くされて、まともな思考ができなかった。 入った瞬間に煙が出る職員室。 地下鉄のある校舎。 か弱いようで力の強い女の子。 屋上。 涙。 あの女の子、佐那田って子に俺はどういう顔をすればいいのだろう。俺が「好きだよ」と言った瞬間に飛びついてきて、しかも簡単には離れられない位の力で抱きついてきて、なんだかよくわからないけれどもしばらく泣いていて、泣き終わったあとあっさりと「どうもありがとう」と言って走り去っていったあの子は、いったい何だったのだろう。 片浜のわからない事がまた一つ増えたという訳だった。そのことについて家に帰ったあとも考え続けて、あまりにも考えすぎて頭が痛くなって風邪薬飲んで寝た。それで朝起きたら、すでに目覚ましが鳴る時刻から三十分も過ぎていた。 考えながら歩いていると、校門が見えた。時計を見るが、まだチャイムまでは時間がある。昨日教室で見たような顔が、教室らしき窓から片浜に向かって手を振っている。片浜は手を振り返し、玄関へと入った。 かなり入り組んだ場所に教室はあったが、他の生徒の流れについていったので、なんなくたどり着いた。腕時計の時間を確認して、扉の上に書いてあるクラスの表示を確認する。 間違いない。 教室の後ろのドアからゆっくりと入る。グリスの利いたドアレールは、ほとんど摩擦なしにドアを滑らせた。 「おはよう」 ぼそりとつぶやきながら教室へ入る。生徒達が視線を片浜の方へ向けたが、それは一瞬のことだった。すぐにそれぞれのやっていたことを再開する。新聞部と名乗った三人組だけが、片浜の事を不審げに眺めていた。 鞄を机の脇に掛け、椅子に座る。自分がいない間に生徒が座っている光景を見るのは久しぶりだった。前の学校では、一番乗りは学校の近所に住んでいる男子生徒だった。いつも片浜は二番乗りだった。その生徒はいつも朝早く来て文庫本を読んでいたため、存在しているかしていないかわからなかった。片浜は窓際の席で肘をついて、登校してくる他の生徒達を眺めながらぼんやりとしていた。静寂に支配された学校が、だんだんとさわがしさに満ちていく過程が好きだった。 机に肘をついて、ぼんやりとする。 校門をくぐってくる生徒はほとんどいない。髪を振り乱しながら走ってくる生徒が何人かいた。小中高一貫でも、登校用の校門は違うため小学生は全く見られなかった。 外から教室の中へと視線を移す。 隣の机には、誰もいなかった。 ほとんど埋まりかけた教室の席の中で、少し目立っている。 彼女は遅刻常習犯なのかもしれない。片浜は思った。チャイムと同時、あるいは先生がドアを開けるコンマ二秒前に教室に入ってくるのが毎日なのかもしれない。俺が昨日ああいう答えを返したからなはずがない。 小渕が入ってくる。佐那田の姿は席にはない。 「今日は、特に、ない。転校生も来ない」 教室に笑い声が起こった。自分が笑えない冗談を笑っている生徒達を見ると、自分がまだこの教室の一員ではないことがよくわかった。担任の癖、いつもの行動、間。そういうたぐいのものがわかって初めて笑えるのだろうと片浜は思った。 別にここの生徒達と一緒に笑いたいと思ったわけではなかった。ただ、一種の疎外感を味わっただけだった。疎外感を味わうことには、片浜は小さい頃から慣れている。 「で、今日は、いつもの通り、検査のために佐那田は一時間目の半ば頃に来るそうだ。昨日はたまたま検査が無かっただけらしい。決して、新しい転校生を見るために病院を抜け出したわけじゃないらしいぞ。残念だったな、片浜」 小渕が片浜を指さした。片浜がよほどきょとんとした顔をしたからか、教室に笑いが起こる。 自分が笑いものになることには慣れていない。笑いものになるくらいなら、無視された方がまだましだった。 片浜は誰も入ってこない校門をただぼんやりと眺めていた。 佐那田は一時間目が終わっても来ず、二時間目の途中頃に教室に入ってきた。入るなり教壇の方へ歩き、何かの紙を数学教師に渡していた。多分欠席届のようなものだろう。 自分の席へと歩いている佐那田と目が合う。佐那田は軽く微笑んだ。 (今日は教科書持ってきてる?) 椅子に座りながら、小さな声で佐那田は尋ねてきた。 (ああ。今日の朝に一式届いたから大丈夫) (なら、いいんだ) 数学教師が、何事もなかったかのように数式の続きを黒板に書き始めていた。チョークが黒板を踊る音と、それをノートに書き取る鉛筆の音が教室に響いていた。 (あと、今日、放課後、天文心理部の部室の案内するよ) 片浜は黒板に書かれた呪文のようなものをノートに書き写す作業を続けた。佐那田の方をまともに見ることができなかった。ただ声に従ってうなずいた。 佐那田は片浜の方を向いてウインクをしていた。 エリがなぜ自律的に動いたのか、背柳達は原因をはっきりと特定することができなかった。 自律的に動いていたときのコンピュータの内部の動きを観測すれば、原因を特定することができる。だが、背柳にはそれを行うことができなった。量子計算機の特性から、内部を観測した瞬間に自律的に動いていた原因が消えてしまう恐れがあったからだ。 従来のコンピュータが0と1を利用して計算するのに対し、量子コンピュータは量子力学に基づいて、波動関数により表現される0と1の重ねあわせの状態を、重ね合わされた無数の波動状態のまま利用して計算する。計算過程を見ることはできない。なぜなら、計算過程を見るということはすなわち観測するということであり、観測をするということは重ねあわせの状態を壊すということなので、観測を行った瞬間に波動関数が収束し、計算が停止してしまうからだ。何が計算機の中で起きているのかを直接知ることはできない。知るためには計算機がよこした結果から推論するしかない。 エリの頭脳は、ミニマムコンストラクタと呼ばれる八つの演算子からなる量子計算機が約三万集まってなりたっている。ミニマムコンストラクタがさらに八つ集まって、高位の一つの量子計算機として機能し、そしてそれも八つ集まってさらに上の階層の量子計算機として機能している。それもさらに八つ集まって、というように、システムは階層構造をなしており、最終的には一つの大きな量子計算機として機能する。階層は全部で六つある。ミニマムコンストラクタが計算した結果は直接上の階層に渡されることはなく、計算結果を観測する前の重ね合わせの計算過程が上の階層へと引き渡される。下の階層からもたらされた八つの情報は重ね合わされて計算が行われ、さらに上位の階層へ量子状態のまま引き渡される。そのため、ある部位を観測することによってミニマムコンストラクタの一つの計算が収束してしまい計算不能になってしまったとしても、上の階層が他の七つの下位領域から情報を得てある程度補完することができる。 情報の欠損に対する自動補完機能のおかげで、エリの頭脳はある程度の冗長性を持つことが出来、計算過程を見られても波動関数の収束を最小限に抑え、システム全体としては正常を保つことができる。だが、どのミニマムコンストラクタが収束するかは統計学的でまったくのランダムであるため、自律行動の源を観測でつぶしてしまう可能性があった。 エリの起動実験から二週間が経っていた。 兵器としては、自律行動機能は必要のないものだった。 与えられた情報を的確に処理し、ある程度の判断能力さえあれば十分だった。作戦を理解し、与えられた装備を十分に使いこなし、標的の殺害を行えばそれでいいのだから。 兵器の機能を必要最小限にするのならば、自律行動機能は排除するべきだった。 だが、それはできない。 自律行動機能とはすなわち自我を持つ人工知能のことだ。過去、多くの学者、技術者が人工知能を作り出そうと研究を続けたが、誰も人工知能を作ることはできなかった。そのうち、計算可能なプロセスから計算不可能な思考というものは作り出せないということを証明する学者まで現れた。 今まで開発されたどのロボットも、どんなにそれ自体が考えているように見えても、決して本質的に考えてはいない。ただプログラムにしたがっているだけだ。プログラム以上のことはできず、以下のこともできない。 踊ることも、歌うこともできない。 もし踊ったり歌ったりするときは、事前にプログラムされているときだけだ。 では、本質的に考えているということはどういうことか。 自由意志を持っているか持っていないかを判断するにはどうしたら良いのか。 そんなこと、私には判断できない。私は哲学者じゃない。技術者なのだから、と、背柳は思う。 そんな議論、空虚だ。 モニターの前でため息をつく。少し残っている発泡酒を手に持って、そのまま一気に飲み干した。 「ため息ばっかりついて、酒を飲んで。最近そればっかりですね、背柳さん」 振り返る。桂木だった。彼の姿はいつも変わらない。相変わらず白衣をよれよれとさせてたばこを吸っている。背柳より二年あとに配属されたため後輩にあたるのだが、年齢は背柳と同じで、エリ開発プロジェクトでは副主任をまかされていた。 「こんな状況じゃ、ため息もつきたくなるし、酒も飲みたくなるわよ」 背柳は空き缶をモニターの前に置いて、机に積まれた紙束を手に取る。椅子ごと回転させて桂木の方に向き直った。 「これ、私がさっきまでモニターに出力させていたデータの抜粋。プリントアウトしてみたの。これを読めば、世の中にはまだわかんないことがごろごろしてるってことが痛いほどわかるわよ」 そう言いながら、桂木に紙を渡す。桂木は胸ポケットから愛用の煤けた灰皿箱を取り出し、たばこの吸い殻をそこにつめてから紙を受け取った。 「ま、あとで見させてもらいますよ。背柳さんがずっと考え続けて答えが出ない問題を、私がこの場で解けるわけがないですから」 「そんなこと言わないでよ。ちょっと最初だけでも読んで。もう、私の中にはアイディアは何も出てこないのよ。思いついたどの案も、三〇分くらい寝かせておいたら欠点が沢山出てきて、やるべきではないという結論になってしまうの」 「そういうふうに言うのでしたら、今、ちょっと読んでみますね」 桂木は紙に視線を走らせる。ときおり、何か言葉ではない音をしゃべっているようだ。多分、ため息や納得の一つの表現方法なのだろう。 視線を紙の下にまで走らせてから、桂木は顔を上げた。机にあるたばこ箱から一本取り出して火をつける。モニターに向かって煙を吐き出した。煙はモニターにあたって渦を巻いた。 「背柳さん、なんで、こんなことで悩んでいるのですか」 「エリの今後の計画は、この問題の解決にかかっているのよ。自律的に動いていることが何を意味していて、勝手に動いたり歌ったりするのはエリが自我を持っているからかどうか、考えるということができる初めてのコンピュータからかどうか。これを兵器として開発し続けることは果たして正解なのかどうか。どれも私には解決できそうにないよ」 「背柳さん、私の意見を述べていいですか?」 「ええ」 桂木は壁の横にあるスライド式のレバーに手を掛けた。レバーを下に引き下ろす。 「ちょっと、桂木君、何してるの?勝手にブラインド上げないでよ」 モニターの後ろにある壁の透明率が上がっていく。壁が光を選択透過できる素材でできているためだ。壁がガラスのようになっていくにつれて、壁の向こうの広々とした部屋が見えてくる。大きな部屋には数人の白衣を着た人間がせわしなく動き回り、中央には大小様々のコードにつながれたエリがいるモジュールがある。 「背柳さん、あれはなんですか?」 桂木は中央を指さした。 「エリのモジュールじゃない。なんでそんな当たり前のことを聞くの?」 「あれは、兵器です。背柳さんが兵器として開発を続ける続けないに関係なく、あれははじめから兵器です。それ以上でもそれ以下でもありません。これだけの開発費をつぎ込んでおいて、開発を停止させることなどできるわけがないでしょう。それに、エリが自律行動機能をもっているかどうか、考えることができるかどうか、それは些細な問題に過ぎません」 「けど、自我を持つ人工知能だとしたら、世界初なのよ。科学技術のブレイクスルーよ」 「だから、どうしたというのです?人間は、可能だということさえわかればどんなことも実現してきたのですよ。他国が原子爆弾の開発に成功したという知らせを聞いただけで、原子爆弾に関するいっさいの情報が無くても原子爆弾の開発はできるのです。存在するという情報は一番価値のある情報です」 桂木の言っていることは正論だった。科学技術を秘密にしておくことはできない。特に兵器開発の分野では。やればできるという確信さえあれば、人間はなんだってできる。もし、どこかの国がタイムマシーンを持っていることが確実にわかっていたとしたら、今までの因果律矛盾の議論はすぐに隅に追いやられ、開発が始まるだろう。タイムマシーンを持っているという事自体が、因果律矛盾の問題を回避できるという証明になっているのだから。どこかの人間達が開発できるものは、時間と労力さえ使えばどの国も開発できる。同じ種族であるのだから当然のことだ。 「けど、これが本当に人工知能の現れかどうか、それを判断する基準がわからないじゃない。本当に考えているかどうか判断する方法がないのよ。そして、もし、エリが考える事ができたとしたら、考えているとしたら、エリの存在意義が危うくなってしまう。量子計算機搭載型高度戦略情報兵器の存在意義を忘れたわけじゃないでしょうね、桂木君」 桂木は、モニターのある机の上に座った。たばこの煙を透明な壁へと吐く。 「エリが考えることができたとしても、戦術を理解し、命令を躊躇無く実行できることはあきらかです。あなたは何を迷っているのですか?私には理解できません」 「確かに、エリの存在意義の一つに、戦術理解と命令遂行があるわ。けど、思考を持っているとしたら、それは、倫理的な問題を生むことになる。人間と全く見た目が変わらないのに、危険な場所へ送り込み、それを兵器だ人間ではないというふうに運用して、世論が黙っているかどうか。私はそこが気になるのよ。そして、今のところ、エリが考えているかどうか、見分ける手段はない。世論が納得のいく検査方法が見つからない」 「そんなの、簡単じゃないですか」 桂木は机から降り、近くの端末へと移動した。キーボードを叩きプリンターを動かす。プリンターからは写真も入ったカラーの紙が出力されてきた。桂木は無造作に紙をプリンターから取り、背柳に手渡した。紙はまだ印刷したてで生ぬるい。 「それ見てください」 桂木に言われるまま、背柳はカラーの紙を見た。 学校が写っていた。 背柳が見たことがない建物だったが、それが学校だと言うことは一目で見て取れた。建築が現代風でも、やはり学校は学校らしい建物なのだろう。学校の写真の上には、国立夾林学園と書いてある。 学校の地下に地下鉄の駅があるらしい。 「なに、これ?」 「エリは兵器です。それは間違いようのない真実です。私たちは兵器開発をしているのですから。世論を納得させる検査方法がないのなら、世論自体に検査してもらえばいい。そもそも、人間が人間を見て、それを同じ人間だと判断する基準はどこにあると思います?それは、その人間の仕草や姿形で、同じ人間だと判断するのです。人工知能についても同じでしょう。人間として人々と生活できるかできないか。できなければそれは人間ではない。世論もおとなしいでしょう。もし、人々と生活できて、人間と思われ続けたとしたら、エリを当初の計画通りに運用することは困難でしょう。その人間らしさを利用して違う計画に用いればいいだけです」 背柳はプリントアウトに目を通した。 小中高一貫学校で、次世代の学校のモデル校。一見普通の建物に見える校舎は、最先端のセキュリティ技術が施されていて、不審者が中に入ることは不可能。生徒たちが安心して通える交通機関の整備。 ほかにもさまざまな言葉が紙に書かれていた。 「ずいぶんと、準備がいいのね。とても今私からプリントを受け取ったばかりとは思えないわ」 桂木はたばこの吸い殻をふたたび愛用の吸い殻箱に入れ、もう一本に火をつけた。 「私が何も考えていないと思いましたか?それなりに手を探すのが副主任の仕事ですよ。そして、結局、エリをこの学校に転校させて、様子を見ることにします。これは決定事項です。エリがいる状況をクラスメイトが不思議がるかどうか、これがエリが自由意志を持っているかどうかを判断する基準の一つですね。そして、エリがクラスになじんできた頃を見計らって、ある人物をこの学校へと転校させます。その人物とエリを親しくさせます。親しい人間がエリのことを人間ではないと見破れないとしたら、エリは人工知能を持っていると判断すればいいのです。この夾林学園の高等部にエリを転入させる件に関しては、すでに夾林学園の了承を得ています」 「そんなこと、考えたこともなかったわ」 「別に気にしなくてもかまいませんよ。背柳さんは技術的な面で、私は社会的な面で計画を推進するのが役割ですから」 「しかし、よく学校の協力が得られたわね。学校に兵器を通わせるなんて前代未聞なことなのに」 「夾林学園は国立ですが、出資金の九〇%を軍が出しています。この学園のセキュリティは軍の防衛技術を流用していて、さらに学園長は軍の関係者です。背柳さん、あなたにやってもらいたいことは、エリを二週間のうちに見た目を完全に女子高生にすることです。動きをなるべく人間に近づけてください。動力の問題は大丈夫です。現在のエリの起動時間は、内部電池で三〇分ですが、杏林学園にはいたるところに電力供給用の電波端末があります。そもそもエリは電波による電力供給に最適化された充電機構をつんでありますので、校舎内であれば電力供給の問題はまったくありません」 桂木は壁の光透過調節レバーを上に戻した。壁がだんだんと白くなっていき、濁りが増していく。 「最後に、ひとつだけ守っていただきたいことがあります」 「なに」 「エリに、自分は兵器だということを教えないでください。自分は人間であると教えこませてください。そうでなければ、失敗するのは目に見えていますから」 桂木はたばこを灰皿箱に入れ、新しいのを取り出して火をつけた。火をつけたまま、口にくわえたまま背柳に背を向ける。ドアまで歩き、振り返る。 「もう、ため息をついて酒を飲んでいる生活は終わりですよ、背柳さん。それでは」 「ちょっと待って」 背柳は桂木に声をかける。桂木のドアノブを回す手を止める。 「なんですか?」 「君は、エリが人間に見破られないほうがいいの?人間に見破られたほうがいいの?兵器として当初の予定通り開発するためには、人間に見破られたほうがいい、そう思っているの?」 「私ですか?私は、もちろん、エリが人間ではないことを望んでいますよ。計画を変えるのには大きな労力が必要ですから」 そう言い残して、桂木は部屋の扉を開けて部屋から出ていった。 残ったのは、プリントアウトと、酒の空のビンと缶だった。缶ビールの見た目空き缶を手にとって、口の上でひっくり返す。ビールは一滴も出てこなかった。 私は。 私は、エリに何を望んでいるのだろう。 ふと考えた。 しかし、その答えが出るはずがなかった。 私はエリにすべてを望んでいたのだから。 背柳は椅子に座り、ゆっくりと息を吐き出した。息は無色透明だった。 放課後、片浜が転校してきてから二日目。 片浜は、佐那田の後をついて校舎を歩いていた。 今日は、手をつながれたり、腕を絡ませられたりはしていない。佐那田は相変わらずずんずんと歩いている。一度来たような道を何度か通っているような気がしたが、片浜にはそこが本当に一度通った道なのか判断する材料が何もなかった。 「ねえ、なんかやたら同じ道を歩いているようだけど、俺の気のせい?」 とりあえず、佐那田に聞いてみた。疑問点は解決できるなら解決したほうが精神衛生上いい。 歩いているとゆれる赤いバンダナの先が止まった。突然の停止で、片浜は佐那田の背中にぶつかりそうになる。 佐那田は指を指した。指し示している方向を見る。 廊下の右側面に扉があった。木の扉だろう。すこしぼろぼろとしていて、上の方が黒ずんでいる。 「ここだよー」 確かに、木の扉には、古めかしい行書体で『天文心理部』と書いてある。その古めかしさは、この学校よりも古いような気がした。佐那田は扉のノブにかぎをさしこんでまわしている。金属がこすれ、ときどき甲高い音が鳴る。 なかなか開かないようだ。 「手を貸そうか?」 片浜はノブのほうへ手を伸ばす。だが、佐那田の左手が阻んだ。 「大丈夫だよ」 金属がきしるような、ゆがむような、何かが曲がったような音がして、ノブが回る。 「ほら、開いたし。というより、いつも、私が扉を開けているんだから、ぜんぜん大丈夫」 ドアノブが少し曲がっているように見えたが、深く考えないようにした。 「どうぞー」 佐那田に促されるまま部屋へと足を踏み入れる。部屋は電気がついていなく、暗かった。 突然の悪寒。 なぜだかわからない。 一瞬、身の毛が総毛だった。空気が悪いわけはなかった。瞬間的に身体が浮き上がったかのような、エレベーターで下に下りるときのような感覚。何かの重荷を下ろしたかのような開放感にも似ている。振り向くが、佐那田はただ扉の付近で微笑んでいるだけだ。 小さな放電のような音がして、蛍光灯がつく。 佐那田が扉付近の壁の電気をつけていた。 「ここが、天文心理部の部屋だよ。歴史は古くて、学園が小中高一貫の学校になる前からあるみたい。歴史を感じるでしょ、このレイアウトに」 沢山の本。 部屋の電気がつけられて、ほんの少しちらつく蛍光灯が部屋を照らし出したときに片浜が最初に見たものは、部屋中に存在する本だった。 部屋を構成する四つの壁のうち三つに本棚があり、どの本棚にも本が沢山詰まっていた。文庫本からハードカバー、ペーパーバックまで、あらゆるものがある。床には、平積みにされた本が沢山見えた。全体的に古い本ばかりだが、平積みの本の方が比較的新しいようだ。それは、本の日焼け具合から見て取れた。 本のジャンルは多岐に渡り、『中国の思想』という本から、『おいしい目玉焼きの作り方』というものまである。本のタイトルは日本語や英語はもちろんのこと、アルファベットですらない言葉で書かれているものもあった。 「どう?」 佐那田は部屋の中央にまで歩き、手を広げてくるりと回った。 「どう?っていわれても、随分とレトロな、としか言えない」 何もかもが古めかしかった。 部屋の隅にある机はいたるところがへこんでいるスチール製、机と反対側の隅にあるテレビはダイヤル選局式だった。真新しいのは、机の上にあるつや消しブラックのポータブルコンピュータと、パイプ椅子だけ。 もうとっくの昔に廃刊になった雑誌、誰だか判別できない俳優か歌手のポスター、何かを張ってはがしたようなあとが沢山ある本棚の側面。 とても最新の設備を持つハイテク学校の内部とは思えない。 目隠しされてここまで連れてこられたとしたら、少子化で廃校になってしまった学校のもう誰も入ることのない部室のように感じるだろう。 時間と空間が一度切り離されて、他の流れとは隔離されて、また再び結合されたような様子に感じた。 佐那田が机に歩み寄り、ポータブルコンピュータのふたを開けた。開けると同時に画面に明かりが灯る。 「天文心理部が、何をやるところか、そういえば、教えてなかったね」 パイプ椅子に座りながら、佐那田は手招きしている。片浜はポータブルコンピュータの画面を佐那田の肩越しから覗き込んだ。 半透明な未来的なデザインのオペレーションシステムが起動中だった。片浜の記憶が正しければ、今年の三月にバージョンアップしたばかりの最新のOSだ。 部屋に似合っていなかった。 やがて、起動が終わる。 佐那田は慣れた手つきでキーボードを操作する。画面がめまぐるしく移り変わった。 ワイヤーフレームで表示された立体構造物。 画面には、黒い背景に白色のラインで構成された建物が映っている。佐那田がポインティングデバイスをいじると、画面の中で建物が回転する。 「これ、何の建物だかわかる?」 片浜の目の前でバンダナが揺れた。佐那田が微笑みながら片浜の方を振り返る。 間違うはずはなかった。 建物の地下には一本の細長い空洞があったからだ。 この学校だった。細長い空洞は地下鉄の通る穴に違いない。ホームらしきものも判別できる。 ワイヤーフレームは完全に鮮明なものではなかった。ところどころモザイクのような部分がある。片浜には学校のどの場所がモザイクになっているのかよくわからなかった。建物は非常に入り組んでいて、ラインは沢山重ねられていて、全体像を把握することはできない。 「学校、だね」 「そう。モザイクになっているのは、最高機密部分で、データを手に入れられないところ。これを見て」 そう言いながら、佐那田は画面を変化させた。 建物を構成するラインの数が減っていく。ラインが減りながら、縮尺も変化していった。視点は、建物を俯瞰する斜め四五度になり、建物全体が見下ろせた。ラインは建物の外観を構成するための最低限度しか表示されていない。 建物に光点が出現した。 一つの場所から放たれた光が伝播するかのように、同心円上に光点が散らばった。 黄色い光点が、建物のいたるところに出現している。光点の散らばり具合はランダムではなく、なんらかの法則性があるように見えた。 その法則性が何かはわからなかった。 「この光点は、この学園のなんらかの盗聴デバイスの場所を示しているの。映像、音声、他にも様々な情報を収集している小型の機械のこと。この光点があるせいで、生徒達は学園側にすべての情報を渡してしまうことになるの」 「ほ、本当のことか?」 佐那田はこくりと首をおおげさに縦に振った。 にわかには信じられない話だ。というよりも、信じることができるはずがない。学園がハイテク化しているのはわかっているが、こんなことを行うのは、完全に個人情報保護法違反だった。国立の学園がそんなことを行うはずがない。 「ソースは?」 情報源が何かがわからなければ、目の前にある情報の信憑性は得られない。 「私の独自情報。全部真実」 「根拠は?俺は何を見てこれを真実と判断すればいい」 「私を信じて」 佐那田と目が合い続ける。次第に、その聡明な瞳に吸いこまれそうになる。だんだんと顔が佐那田に近づく。非常に微弱な一定の力の引力。 「ちょっと待って。何か変だ」 「何が?」 記憶をさかのぼり、部屋に入ってからの会話を思い出す。 「天文心理部が何をやっているのか、説明しているところだったよな」 「ええ」 「なのに、なぜ、学校の機密部分に関することで信じる信じないという話をしているんだ?俺たち。天文心理部の説明をしてくれるんじゃなかったのか。それとも、学校の秘密を知ることが天文心理部の活動内容を知るために必要なことなのか?」 佐那田は、片浜のほうを向いたまま、あごに人差し指を当てて首をかしげている。 「んー、わかんない」 「おいおい」 緻密なグラフィックと圧倒的な情報量の学校の三次元画像に魅入っていたため、話がそれていったことに気づかなかったらしい。学校の秘密云々よりも、今はこの天文心理部が何をするところなのかを知ることが重要だった。屋上で佐那田が説明していたとき、片浜は自分のおかれた状況を理解するのに必死で、話半分にしか聞いていなかった。天文と心理に関係あるのだろう、ということしか推測できなかった。 そもそも、俺は部活に入らないつもりじゃなかったのか?なぜ俺はこの子と一緒に天文心理部というわけわからない部の部室にいる? 心に自答してみる。 答えが出るはずがなかった。心に自答して答えが出るようなら、はじめからいろんなことで悩んだりはしない。 言葉にはできない、ただ、なんとなく、という感情だろうか。相変わらず、面倒くさいことは嫌いで、一人暮しをはじめたばかりで、放課後に部活という精神的余裕がないはずなのに、なぜか、なんとなく、この子についてきてしまったのだ。 「学校の光点のことは天文心理部の活動には関係ないけど、学校自体は天文心理部の活動に関係あるよ。だって、天文心理部は学校公認の部だから」 「じゃあ、なんで、ワイヤーフレーム像の校舎の三次元画像なんて俺に見せたんだ?」 佐那田は再び首をかしげる。椅子から立ち上がり、ポータブルコンピュータのふたを閉めた。ふたが閉められたコンピュータは何かにアクセスしているような音を立ててから停止した。 「んー、わかんない。ま、そんなことはどうでもいいよ。とりあえず……」 「とりあえず?」 片浜はオウム返しに訊ねた。 「屋上に行こ」 佐那田は片浜の手を取って、出口へと引っ張った。 またひとつ、引越ししてからの謎が増えた気がした。 夜。 遮るもののない広大な空間が、ルシャの前に広がっていた。 十年近く過ごしてきたミンストゥカを足ってから、初めて何かを考えることのできる夜だった。星が空に蒔かれた無数の光の種のように見える。昼間との寒暖の差が大きいため、涼しくて快適な夜だった。声を出せば、どこまでも音は運ばれていくような気がする。 天の種からは、一体、どんな植物が実るのだろう。 彼がアメリカをはじめとする資本主義諸国に対する宣戦をルシャ達の前で宣言してから、三日が経っていた。最初の二日間は、複数の緑色の迷彩車両を乗り継ぎながら、ひたすらに移動をしていた。目的地が近づくにつれて、同じ目的のカルウの信徒達を乗せていると思われる同じ形をした迷彩車両が平行してルシャの車両と走るようになった。ルシャがミンストゥカを足った時に利用していた車両数は五台だったが、いつのまにか、二〇台以上に増えていた。 ルシャは、三六〇度地平線が見渡せる丘の上にいた。丘の片方の斜面は切り立った崖で、崖のほうから何かこないか見張るのが現在のルシャの仕事だった。 目的地には、多数の武装した兵士達が集まっていた。 ここには、ミンストゥカをはるかに超える規模の訓練施設があり、想像もできないほどの武器や弾薬があるらしい。今後、資本主義諸国がルシャの先輩の英雄的行為に対して報復攻撃を行う場合、その標的になるのは、信徒の中でもっともカルウに近い『彼』であることは間違いないらしい。資本主義諸国のメディアは、揃って、彼が親玉であると報じているらしい。カルウに近き彼を殺させるわけにはいかないので、彼を守るために、このような大規模な軍隊が必要だと、シュハラが目的地につく前の車の中で言っていた。 この場所はカルラウシィと呼ばれている。聖典ミンティオの中に出てくる、信仰の中心を守り抜くための戦いが行われた場所の名と同じ名前だった。 カルラウシィは盆地に位置し、昔からこの地方では要塞都市が作られてきた場所だった。四面を囲む崖のため簡単に敵が進入することができず、自然要塞として利用しても十分に価値のある場所だ。 ルシャのいる丘は、カルラウシィから約五キロほど離れている。もともとは半球状の丘だったのだが、過去の無数の戦争のどれかで使われた地下施設破壊系のミサイルが着弾したために、今のような片方が崖の地形になった。 星の光と月の光で淡く照らされる大地の上で、ルシャは手に持った中国製レーザー兵器の手入れをしながら監視を続ける。実際に何かがやってくる可能性は今のところ皆無なので、この監視任務は訓練の意味合いが強かった。 レーザー兵器は、レーザーを出力するために大量の電力を消費する。レーザー兵器と通常兵器を比べたときに、過去においては、通常の実弾を飛ばす兵器のほうが格段にコストが安かったのだが、資本主義諸国で起きた燃料電池の革命のおかげで、レーザー兵器が兵隊のレベルで使用できるようになった。多少殺傷能力が落ちるが、実弾装填型の兵器と比べると攻撃持続能力が三倍以上という性能は非常に魅力のあるものだった。 電圧変換ユニットに異常がないかどうか確かめてから、ルシャは銃を自分の傍らに置く。もう一度地平線に異常物がないことを確認してから、背中を倒して仰向けに寝転がった。 星が、落ちてきそうだった。 手を伸ばすとつかめそうだった。 カルウの創造物である星達が、自分のほうへと降りてきてくれるような錯覚。 そっと空へと手を伸ばす。冷たい風が、手を撫でていく。 ゆっくりと、手は空を握りしめた。 「ルシャは何をやっているんだ?」 空へと伸ばしたルシャの手が、大きな手に包まれる。 空を遮るようにして、シュハラがルシャの顔を覗き込んでいた。 「ちゃんと警戒していないとだめじゃないか。俺の寝坊を咎めるくせに、自分はそうやって寝転がるのか?ここで睡眠を取って、朝早く起きて、そして俺を起こすわけだ」 「うるさいな」 ルシャはシュハラの手を振り払い、起きあがる。シュハラが来ていること以外、風景に何も変わったところはないようだ。 「なに、わかってるって」 シュハラが笑う。肩に提げた自動小銃をルシャのレーザー兵器の隣に置いた。そのままルシャの隣に腰を下ろす。 「なにがわかってるんだよ」 ルシャはシュハラの自動小銃の銃口を撫でながら言った。 「休憩していたんだろ?カルウの加護があるおまえでも、睡眠なしで毎日監視ができるほど人間離れしてない。気力がいくらあったって、体力が持たないだろ」 「ああ。聖典ミンティオにも、睡眠は必要だって書いてあるからな。俺だって、休みたいときがあるさ」 「また、聖典ミンティオか」 シュハラはため息をつきながらルシャの方を見る。 「何か悪いか?」 「おまえさ、聖典ミンティオに書かれてあることがすべて真実じゃないって、うすうす感づいているんだろ。あれは現代の俺たちの生活に合わない……」 レーザー兵器を手に取る。 立ち上がる。二、三歩後ろへと下がる。 瞬間的に指先で安全装置をはずす。 シュハラがすべて言い切る前に、ルシャはシュハラに銃口を向けていた。 シュハラも、瞬間的に状況を判断して、自分の自動小銃を構えている。 「聖典ミンティオを侮辱するな」 ルシャは、シュハラに銃口を向けたまま静かに言う。銃の構造的に、同時に引き金を引いたときの初弾タイミングはレーザー兵器の方が早い。ルシャの方に分がある。だが、シュハラは臆せずに話の続きを始めた。 「なあ、ルシャ。世界は刻一刻と変わっているんだぜ。何千年も前に書かれた本が、現在も真実を伝えている保証はどこにあるんだ?何千年も経てば、真実すら変わるのが世界の摂理だろ」 「聖典ミンティオを侮辱するな」 「もちろん、俺はカルウの存在を信じている。けど、カルウが、何千年に渡って同じ方策でいるとは限らないじゃないか」 ルシャは微笑んだ。顔は微笑んでいるが、レーザー兵器の銃口は全く動かない。 「シュハラ、いま、俺は何故ここで監視をしていたのかがわかったよ。俺は、ここで、おまえを待っていたってことだ」 ルシャは真顔になる。 「たとえおまえでも、十年以上ともに生活してきたおまえでも、聖典ミンティオを侮辱することは許さない。次に何か侮辱するようなことを言ったら、俺はためらい無く引き金を引く」 そう言ってシュハラをまっすぐに見る。シュハラもまったく動かない。シュハラの視線と銃口の延長線上には、ルシャの顔がある。 風が吹いていた。 冷たい風が、真横に吹いていた。 風は地平線の向こうから吹いてきていた。 青い光の下、風の音のみが支配する空間。風の音は微かでほとんど聞こえないが、確かにそこに存在していた。 シュハラが自動小銃を地面に置く。ゆっくりと両手をあげる。 「わかったよ。もう言わない。負けだよ。俺の。けど、そういう考え方もあるっていうことも覚えておいてくれ。考え方っていうのは今までこの世に存在した人の数くらいあるんだから」 ルシャはレーザー兵器の安全装置を左手でつけ直し、シュハラの自動小銃の隣に置いた。二人でにやりと笑う。シュハラがルシャの肩に左手をまわしてきた。ルシャは応えて右手をシュハラの肩にまわす。二人で地平線を眺める形になる。 地平線は、丸かった。 「わかってるよ。頭ではわかってるつもりさ。おまえがカルウの熱心な信者だってこともわかってる。カルウに対する解釈がいろいろとあるのも知ってる。けど、自分以外の考えを聞かされるのは好きじゃない。それが、自分の信じているものとかなり食い違っていたらなおさらさ」 「それが通常の信者の反応だから、ルシャは気にしなくていい。俺が少し変わっているだけだ。俺は俺なりに信仰してるって、言ったろ。たぶん、カルラウシィで俺の信仰を口に出したら、『それは真にカルウを信仰しているわけではない』とか言われて銃殺刑になるだろうな」 そう言いながら、シュハラは背中に背負っていたリュックから、瓶を取り出した。星明かりだけでは、ルシャにはその中に何が入っているのかわからなかった。シュハラは瓶を左右に揺らす。三分の一くらいしか入っていないのだろう、液体が跳ねる音が瓶の中からする。 「飲むか?」 「何を」 「酒」 ルシャは組んでいた腕を放し、瞬間的に飛びのく。シュハラはリュックから渦を巻いた針金を取り出し、ビンのコルクに突き刺した。針金をくるくると回し、コルクを抜き取る。 「そんな、逃げなくてもいいだろ」 「シュハラ、君は、自分が何をしているのかわかっているのか?」 シュハラは抜き取ったコルクを丁寧に白い布に包み、リュックへとしまう。しまい終わると、瓶に口をつけた。口をつけたまま上を向く。何かの液体がシュハラの口へと注ぎ込まれていった。 「ふう。やはり、うまいな」 シュハラは瓶をルシャのほうへと差し出してきた。 「飲む?」 「撃つぞ」 「冗談。ただの水だよ。ほら。のど乾いただろ」 「本当に水か?」 「ああ。おまえにはうそは言わないって」 瓶とシュハラを交互に見比べる。液体が瓶の中で波打っている。波打ち方からして、液体に粘り気がないことはわかる。 「もし、酒だったら、撃つぞ」 瓶をシュハラから受け取る。瓶は見た目より重かった。瓶に口をつけ、ゆっくりと傾ける。液体が徐々に下へと移動し、重心の移動で瓶が軽くゆれた。 冷たい液体が、喉を通る。水分が喉から全身へと行き渡る気がした。 「水、だな」 「だから言ったじゃないか。冗談だって」 「じゃあ、なんでそんなに意味ありげな瓶に入っているんだ?水筒でもかまわないだろ?」 ルシャから瓶を受け取り、シュハラは先ほどのコルクでふたをする。 「こうやって、瓶に入っていると、なんとなく酒を飲んだ気持ちになるんだ。そういう気持ちになること自体は、聖典ミンティオにも禁じられていないだろ?」 コルクでふたをし、再びリュックに瓶をしまう。 「しかし、シュハラは酒を飲んだことがあるのか?」 「ない。当たり前じゃないか。いつそんな時間がある?」 「じゃあ、なんで酒を飲んだときの気持ちがわかるんだよ」 「シミュレーションだよ。言いかえると、フィーリングかな」 「意味わかんないって」 「そうだな」 二人で声を出して笑う。冷たい空気の中、二人の笑い声はまっすぐに地平線へと向かっていった。肩を組み、銃の存在を無視し、ただ崖の向こうの地平線を眺める。 星明りが、何もない荒野を照らし、ところどころにある岩石にぼんやりとした影を作っている。空気は静かにたたずみ、二人の発する音以外には何も聞こえない。目の前に広がっている大地にはときおりねずみの姿が見えた。 どのねずみもただ一匹でひたすらに走っていた。 |