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二、助かってたけど。 「うん……、む、あっ……、むあ?」 私は目を開いた。仕切り板もない簡単な作りのベットに寝かされていた。起き上がろうとしたけれど、身体はまったく動かなかった。 でも、首から上は動くみたい。 首を横に向けると、子供が、私のいるベッドにうつ伏せに眠っているのが見える。少し黒ずんだ木製の壁には、私の着ていた服が、ハンガーで干されている。 私はどこにいるんだろう。 この子の見覚えはない。ドアが見えるが、窓はなかった。反対側の壁にも窓はない。天井自体がほんわりと光っていて、朝みたいな明るさで、部屋を照らしている。 「おーい、君。おーい」 身体をぴくりとも動かさずに呼び掛けてるって姿は、他から見ると少し変かも。 何回か呼び掛けると、子供は顔をあげた。髪がぼさぼさっと、無造作になっている男の子。十歳位かな。可愛い系の顔をしてる。私の好みに近い。 「お姉ちゃん、目を覚ましてくれたんだ。よかった。今、お母さんに朝ごはんを持ってきてもらうね」 男の子はすぐに、ドアを開けて部屋を出ていった。私は首しか動かないまま一人にされた。 私は何故、ここにいるんだろう。 何故、逃げてたんだろう。 覚えているところから、順にたどってみる事にする。 はっきり覚えているのは、明日は定期テストだって思いながら、高校の校門をあとにしたこと。 今まで桜だと思って見ていた校門の木が、梅だって聞かされてショックを受けて、それから強風が吹いて、呆然としていた私の口に、梅の花一枚が入り込んで、思いっきりむせてしまって、みんなに笑われた。 それから、それから……、それから? ダメだ。思い出せない。 最後に残っているイメージは、私の事を指さして笑っている男の子の顔。その子は高校の近くの小学校に通ってて、私が花びらを食べる瞬間をたまたま目撃したんだっけ。 その男の子は……。 「あれ?今さっきまでベットのそばで眠っていた男の子の顔って、私の事を見て笑った子の顔ににてる……」 ドアを勢いよく押し開けて、男の子がテーブルを両手でかかえながら、ふらふらとしながら入ってきた。その後ろに、女のひとが、お盆になにかをのせて入ってくる。 この位置じゃ、下から上を見る事になって、何をのせてるかさっぱりわからないけど。 ベッド以外何もなかった部屋に、テーブルを置いて、その上に黄色いスープらしきものを入れた入れ物を二つ置いてから、女のひとは私に話し掛けた。髪がさらさらとしていて、男の子と違って手入れが行き届いている事がわかる。 「どうですか?具合は」 「身体が動きません。口しかきけません。ここはどこですか?」 女のひとは、私の身体にかかっているシーツを、足の方からめくって、私の身体を調べはじめた。 首から下の感触がなくて、何をされているかわからなくて、ちょっと恐い。めくられたシーツは、男の子が高く持ち上げている。マントをめくられているような格好だから、シーツに邪魔されて、目で、女のひとが私の身体に何をしているのかを確認する事もできない。 「大丈夫。お母さんはお医者さんだから。そんなに心配そうな顔をしなくてもいいよ」 男の子の声も、前に会ったこの声にそっくりだ。同じ子なのかな。 「君と梅の木の前であった事があるよね?私が梅の花びらを口に入れちゃって、大笑いしてた」 「うめのき?何それ。お母さん、うめのきって知ってる?」 「私にもわからないわ。お姉ちゃんに教えてもらったら」 何かの作業を続けながら女のひとは言った。 ??????? 梅の木を知らないの? ここは日本よね。日本人なら、見た事はなくても知っているはずだけど。それに、この子はこの前に会ったはずなのになあ。人違いだったのかな? それにしてもよく似てるな。 女のひとは、私の首から下を調べている。感触がないから、服を着ているかどうかもわからない。ときどき、カチャカチャっていう音がする。 「お姉ちゃん、うめのきって何?」 「梅の木っていうのは、春にいっせいにピンク色の花を咲かせて、桜の木と間違えそうになる木だよ?春になったら、日本のどこでも青い空に向かって伸びているのが見えるはずだけど。見たことないの?」 男の子は、シーツを両手で持ったまま首をかしげた。 意味が通じなかったのかしら。 「タクヤ、もうシーツをおろしてもいいよ。たぶん、治ったから」 男の子は、シーツを再び私にかけた。かけた時に、シーツの微かな柔らかい感触が伝わった。 「どう?もう動けるようになったはずだけど、起きあがってごらん」 私は最初に、手を握ったり開いたりした。指はちゃんと動いてる。ベッドに手をつき、ゆっくりと起き上がった。手のひらに自分の体重がかかるのを感じた。ちゃんと動いてる。ちゃんと感じてる。 まっすぐに起き上がって、身体を横に半回転させ、ベッドから足を外に投げ出した。あまり見たことのないメーカーのものだけど、服はちゃんと着せられていた。きれいな赤と黒のチェックのスカート。それにあうような赤くてさっぱりとしたジャケット。驚く程にサイズがぴったり。 よかったあ。服を着ていなかったらどうしようかと思ったよ。 「ありがとうございました。ところで、私の身体は何故動かなかったんですか?麻痺してたんですか?」 「まあ、麻痺みたいなものよ。大丈夫、すっかり治してあげたわ。さあ、お腹がすいているでしょう。これを飲んで身体もあたためて下さいな」 「本当にいいんですか?そんなに親切にしてもらって」 「いいんですよ。人間はお互い助け合わないとね、この世界では生きていけないから」 私は、黄色いスープをありがたくいただくことにした。すごく美味しいわけじゃないけれど、お腹がすいた時には、どんなものでもありがたく感じられる。男の子も、私の隣に座って、同じスープを飲んでいる。 全部を一気にのみ終わってしまった。我ながらはずかしいまでの早さ。女のひとは、始終、床に正座して私達の事をニコニコして見ている。 「あなたは食べないのですか?」 「お母さんは、お姉ちゃんに自分の分をあげちゃったから、食べられないんだよ。やさしくていいお母さんなんだ」 「そんなに貧乏なんですか?」 今どき、食べたくても食べられない人がいるとは思わなかった。 「ビンボウって何ですか?食料は配給制だから、一人一日二食なんですよ。あなたの地域では配給制じゃないんですか?ここら一帯はどこも配給制ですよ」 配給制?食べ物が配られるって事? ここは本当にどこなんだろう。貧乏という単語を知らないなんて……。 「すいません、ここはどこですか?私は迷子になっちゃったみたいで」 「ここは、第二十七地下施設『サッポロ』だよ。お姉ちゃんはどこに住んでるの?」 「私も札幌だよ。でも、こんなところは知らない」 男の子は、スープを飲み終わり、テーブルの上に食器をおいてから、私の方を見た。 「お姉ちゃんがサッポロの人なわけないよ。全部で百十四人しかいないもん。顔を全員知っているよ」 「ええっ?札幌は百五十万人いるはずだよ」 女のひとはお盆の上に食器をのせ、立ち上がりながら言った。 「今、たぶん、地球の全人口がちょうどそのくらいだと思いますよ。そうだ。歩けるようになったら、サッポロを見て回りませんか」 全人口が百五十万人?地球の全人口が? 七十億人いるはずじゃなかったっけ。何かおかしいな。 ここの二人がおかしなことを言っていたとしても、外の様子がわかれば、ここがどこなのかわかるかも。ケータイを今持ってないから、公衆電話で家に電話をかけて、お母さんに迎えに来てもらおうっと。 私は足を床につけ、立ち上がろうとした。足に体重をかけ、両手でベッドを押した。一瞬、立ち上がれたが、バランスが取れずに、前に倒れ込んでしまった。地面がやけに堅く感じた。手をついて起き上がったが、今度は横方向へ倒れてしまった。座ることはできるけど、まっすぐ立つことができない。 身体が立つことを忘れちゃったみたい。昨日はちゃんと走れたのにな。 「まだ、身体が立つことに慣れてないのね。三十分くらい練習したら、不意に立てるようになるから、少し練習して下さいね」 . 三十分、ひたすら立つ練習を続けた。そのあいだ、男の子と女のひとは、部屋を出てどこかへ行ってしまっていた。 いくら練習しても立てなかったけれど、三十分たったときに、本当に不意に立てるよう になった。 今まで、なぜ立てなかったんだろうと思えるぐらいあっさりと。 立てるようになると、私はすぐに部屋の外に出ようとドアを開けた。ドアの前には男の子と女のひとが待っていてくれた。 「私は道沢真実と言います」 「私達も自己紹介はまだでしたね」 女のひとが言う。 「私は、マチノ・ケイといいます。この子は私の息子のタクヤです。あなたは、いったいどういうひとですか?」 「えっ?」 「お姉ちゃんは、地上に倒れてたんだよ。僕が見つけたんだ」 「地上?」 「さあ、話は街を見て回りながらすることにしましょう」 ケイは前を歩きながら言った。 . 私はすごいことに気付いた。ここは札幌であり、サッポロだった。 コンクリートの壁のあいだに暮らしている百十四人の人たち。天井はぼんやりと光っている。その光の中、人々は細々と野菜などを作って暮らしている。木は一本もない。木が育つような高い天井はこの街にはどこにもない。機械にまったく頼らない生活をしている。 畑を耕すにしろ、米の苗を植えるにしろ、人の手だけで行われている。耕耘機や田植機はない。 まるで、江戸時代に戻ったみたい。 江戸時代とまったく違うのは、ぼんやりと光る天井と、味気ない壁があるということ。ここには、日の光はまったく射してこない。ところどころに、見たことのあるような物がある。けど、ほとんどぼろぼろでかろうじて読み取れるくらい。 「北十三条東」 「大通り」 タクヤは、その看板は大昔からずっとぼろぼろだと言った。 「ここはどこなの?」 「だから、サッポロだよ」 「どこの国の?」 「サッポロはサッポロだよ。他の呼び方はないよ」 本当に意味がわからない。いくら聞いてもここはサッポロとしか言ってくれない。ケイも同じだった。私は、何故、ここにいるのだろう? 「地上を見たいです」 「だめ。行くことはできないわ」 「私は地上に倒れていたんでしょう。なら、入り口はあるんですよね」 私がそう言うと、ケイもタクヤも一度立ち止まった。二人とも、不思議そうな顔をしている。 ケイは非常に若くきれいな人で、タクヤという息子がいるのが、信じられないくらい。 たぶん、二十代後半だろう。こんな生活をしてるのに、明るく振る舞えるなんて。私なら、機械無しの生活は耐えられない。 ケイが私に人さし指を向けた。 「マミ。あなたがどこから来たひとかはわからないけど、地上に出ちゃダメだって教わらなかった?危険なのよ」 「危険ってどう言うことですか?私は地上に住んでましたけど」 私の家は、桜の木に囲まれていて、花びらを掃除するのが大変だったな……。 私が地上に住んでいたと言うと、ケイとタクヤは明らかに驚いていた。タクヤの驚きかたは、好奇心の驚きかただった。 「お姉ちゃん。よく殺されずに地上に住んでいられたね。すごいよ。どうやって攻撃から身を守ってたの?僕らにも教えてよ。僕、青空っていうものを見てみたいんだ」 「マミ。本当なの?地上に住んでいたって。未だに、機械達に侵されていない地域があるの?」 ますますよくわからなくなってきた。 機械に侵されていない?攻撃から身を守る?いったい、なぜ地上に住むのにそのような心配をする必要があるの? ケイは、思い出したように片手でポンと叩いた。 「そうだ。図書館に行ってみない?私のダンナが働いているし、マミがどこから来たのかわかるかも知れない」 . そこは、図書館というのは名ばかりの、ただの書類が積み重なった部屋だった。ケイのダンナは、ここでこの膨大な書類を、本にまとめているのだという。ここにも、機械の類いはなかった。 短い髪をぼさぼさとした白衣の男のひとが奥から出てきた。 タクヤの髪型は、これをまねしていたのか。 「こんにちは。マチノ・ハルカと言います。あなたは、どこの出身で?」 「ハルカ。マミは自分でもどこから来たのかがわからないみたい。彼女は札幌から来たと言っているけど」 「そうです。私は札幌市東区に住んでます」 そう、私は地下に住んでない。 ハルカはしばらく考えていた。そして、突然、書類の束から何枚かの書類を取った。 「サッポロシ?もしかして、日本国北海道札幌市?」 「ええ、そうですけど」 「札幌市から来たって言うけど、ここは、昔札幌市地下街って呼ばれていたよ。今はサッポロだけど」 「それって、どう言うことなの?お父さん」 「彼女はここの出身だってことさ」 「そんな!僕は、お姉ちゃんの事を知らないよ」 「そうよ。私も知らないわ。彼女はなぜここの出身だと思うの?」 ハルカは、透明なケースに入った古ぼけた紙を近くにあった机に広げた。札幌市の地図だった。上の方に、『札幌市近郊図』と書いてある。 「この地図にある街の事をなんて言う?」 「サッポロ」 「札幌」 ケイとタクヤと私は同時に言った。 「ほら、おんなじだ」 なんかすごいことになってる。 私は図書館で三日程費やして、驚くべきことを発見していた。 ここは、札幌市ではなかった。 サッポロだった。 ここは二十世紀ではなかった。 二十三世紀だった…。 . 二十一世紀末、進歩を続けていたコンピュータは、突如、人間に対して反旗を翻した。 理由は単純明快。 「人間には地球は任せられない」 高度にコンピュータ化していた社会の崩壊はあっけなかった。軍事基地はすべてコンピュータ化されていたので、中性子爆弾で何十億もの人間が殺されても、反撃する手段はほとんどなかった。 自然はそのままに、人間だけが殺された。 あるグループは、地上を捨て地下へと潜った。また、あるグループは、『自分達が滅びるぐらいなら、コンピュータも道連れにしてやる』と、唯一コンピュータ化が遅れていた北朝鮮から、地上に何万発もの核攻撃を行った。それにより、さらに何十億もの人間が灰と化した。人工地震や、絨毯爆撃も行われたが、高度に分散されたネットワークを破壊することはできなかった。 そして、本来の『自然を守る』という目的に反し、地上は廃虚となった。 二十三世紀末、機械達は自然を再生しようと努力を続けている。放射能は消え去っている。けれども、人間が地上に出ると、容赦なく殺された。 . うそ……。 それが私の最初の感情だった。 緑も花も木も桜もないの? ここでは、もう、緑の風の匂いも、花に止まる蝶も、学校も、街も、私の家も、私の友達も、ないの? 「そうだよ。ここは、もう、夢も希望もないただ今を生きるだけの世界」 ハルカが書類をめくりながら言う。 ハルカにとっては、生まれる前からの当たり前の事実かも知れないけど、私にとってははじめて聞かされたこと。 「結局、マミが、なぜ二十世紀の事を知っているのかはわからないね」 私は、今まで信じていた世界が、すべて虚構だと知らされ、自分の世界がぐるぐると音をたてて壊れていくのを感じながら、気を失った。
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